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齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその1 学び上手の教師

 教え上手である前に,学び上手であるか?
 (逆コンピテンシーその1 学ぶことが下手である・・・「自己変革力」に課題)
 55の失敗例のうち,「1:面子にこだわる」「11:経験にとらわれる」「25:批判に耳を傾けない」「37:評価されることを嫌う」でふれてきた4つに関連があります。これらは対人指導力や対人指導力,対人変革力にも強い影響をもちますから,重大な逆コンピテンシーになります。
 こんなチェック項目はいかがでしょうか。
1 今,燃えている研究内容があるか
2 自己研修の時間が充実しているか
3 ともに学ぶ仲間がいるか
4 学ぶことについて示唆を与えてくれる人がいるか
5 授業はいつも新鮮であるか

参考 齋藤孝「教育力」(岩波新書) 1頁より
「教える者がすでにあこがれの気持ちを失っている場合には,人はついてこない。」
 5~6頁より
「自分自身が本を読まず学んでいないのに,教えたがるとすれば,それは本末転倒だ。学ぶことのプロフェッショナルであるからこそ,教える側に立つことができるのだ。」
「学ぶことが楽しいことだ,と相手に本気で信じさせることが,教師のいわば使命である。自分自身が学ぶことをせずに,ある程度習い覚えた教育内容を消化するだけでは,一番肝心な『共に学び合う関係』が生まれない。」

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より