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齋藤孝「教育力」から教師の「逆コンピテンシー」を読むーその3 「場」の空気

 『弓名人』のように弓を使わずに鳥を落せるか
 (逆コンピテンシーその3 友情の関係性を実現する場を提供できない・・・「対人変革力」に課題)
 失敗例のうち, 「4:葉にとらわれて根を育てない」「18:長所が引き出せない」「26:予言の自己成就の悪用」などと関連があります。
 子どもたちを学びに燃えさせるコンピテンシーをすべての教師に求めるのは酷かもしれません(齋藤孝の要求水準は,歴史上の実力者がモデルになっているだけに,相当に高い)。
 私が考えるコンピテンシーモデルの3つの次元のうち,「創造力」については,逆コンピテンシーの想定が難しいものもありますが,「自己」と「対人」という2つの基本的な分野については,理想を追求する姿勢がほしいものです。
 「緊張感のある関係の場」を作る例として,こんな事例がありました。
 ある行事の委員になった下級生が遊んでいるのを担当の先生が見つけ,「そんなに責任感がないのなら担当からはずす」と強い指導をします。しかし,自分がやりたくて臨んでいる行事の委員なので,やめさせられたくありません。生徒は「続けさせてください」と謝罪に来ます。しかしすぐには許しません。「反省文を書いた後,委員長・副委員長といっしょにまた来なさい。」と言って,いったん帰します。その後,先に委員長と副委員長を呼び,「自分たちが責任を持ちますから続けさせてやってください」と下級生をかばうように指導します。
 この指導の結果,教師と下級生の間には一時的に溝が生じますが,上級生と下級生の間には緊張関係,信頼関係が生まれます。もし下級生が問題を繰り返すようなら,その対応は上級生と担当の先生が悩みながら考えていくことになります。なお,この指導は行事の準備の初期に行うのが効果的です。
 こういう指導があると,その後,準備のときにふらっと見に行ったときの「空気」を感じるのが楽しみになります。そして,行事の後には,下級生だけでなく上級生に対しても「褒める」言葉のバリエーションが増えます。
 孫子の兵法を活用したような指導ですが,生活指導で「緊張のある場」をおわかりいただくための例として紹介しました。なお,齋藤孝「教育力」では,この「場」を学習指導のケースで説明しています。
 
参考 齋藤孝「教育力」(岩波新書) 16頁より
「切磋琢磨という言葉どおり,お互いに磨き合う関係性を作り上げることが教育者の最も重要な仕事である。教えているだけでは本当の実力はつかない。・・・(中略)・・・肝心なのは,そうした緊張感のある関係の場を整えるということだ。」 
 18頁より
「この『場』の空気は,教師自身の人格や教養,身体から発せられるエネルギーなどに支えられている。だからこそ,教育は人間が身をもって行う営為なのだ。教師の人格的雰囲気がそのまま『場』の空気になってしまう。」

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より