ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 2005年10月 | トップページ | 2007年1月 »

2005年11月

経営方針は何のためのものか

11 戦略遂行力(B 実行力の④戦略)
 小学校に入学したての子どもが「今日は日直だ」と学校にはりきって出ていったのですが、その後しばらく、テレビや一人遊びで現実逃避に沈んでいました。たずねてみたら、日直で学級を静かにさせようとして、何度も注意したのに、みんな言うことを聞いてくれなくてショックだった。「先生は何してたの?」と聞くと、「おたよりを書いていた」とのこと。
 小学校の一日の使い方というのは、担任によってそれぞれいくらでも自由になるようで、前日の予定の授業と平気で別の科目をやっていたりします。週ごとの指導計画を見ればわかりますが、小学校の指導内容は量的に限られているし、個別児童の達成度に劇的な差は生まれないので、要領のいい先生は自習の時間を増やして内職をしているようです。
 この内職には学級通信づくりや家庭ノート書きから、職員会議の資料作り、管理職試験の勉強まで、さまざまあって、給料日になると何回数えても同じ枚数のはずなのにずっとお札の枚数ばかり数えている人もいました。短い時間で自習課題を終えてもっていくと、迷惑な顔をされてしまうのです。

 教育の目標達成の難しさは、そもそも目標が単一なものでないだけでなく、ある目標を達成しようとする(保護者に学校の様子を知らせるための資料をつくる)ために、別の目標を捨ててしまう(日直の子どもに自信を失わせる)こともあるのです。
 考える力、生きる力をつけさせようと自主教材で授業をすると、「それでは受験で点が取れない」と批判され、教え込みの授業に戻さざるを得なくなる、そんな「教師」と「保護者、子ども」の目標の不一致という問題もあります。
 
 こういう問題を乗り越えるためにあるものが、「学校経営方針」「学年経営方針」「学級経営方針」「教科等の指導計画」です。これらの方針や計画の中で、目標達成の過程で生ずるような問題を予想し、それをいかに調整しながら効果的な教育を行うかという戦略が語られているかどうかが大切です。
 よく「マニュアル型」人間ではいけないといいます。これは臨機応変な行動がとれない人間を非難する言葉だと思いますが、教育の世界では、臨機応変をそのときのムードや気分、経験の力と勘違いして行動をおこす人が多い。しかし、個人の力でなく組織の力、つまり、だれでもできる戦略をもっておかなければ、○○先生が異動したからさあたいへん、ということになってしまいます。経営方針や指導計画というマニュアルは、「ああ、こういう問題がおこったら学校はこう解決してくれるのだな」「こういうねらいでこうしてくれているのだから、この活動については反対するのはやめよう」という安心感を保護者に与えるものであるべきです。

 子どもには「先生がお仕事で忙しそうなときに、学級のみんなで取り組める遊び」をしこみ、「自治というのは・・・」などとわかりもしない話をしましたが、さて、成功するかどうか・・・。

教育の「目標」が最大難問

10 成果追求力(B 実行力の③成果)
 教育の成果というと、生徒が志望校に合格したとか、大会で目標の順位に達したとか、大きな事件もなく無事に卒業させたとか、「だれのおかげというより生徒本人の努力」で成し遂げられるものをさす場合が多いようです。
 ですから教師自身が自分の仕事について「何があなた固有の成果だ」と問われると、普通の教師なら即答できないものと思われます。
 ただ、管理職に対して「自己申告」(これは教育委員会に提出されるから、人事異動の権限をもつ人たちは目を通している)を提出するようになった昨今では、あるいはAは80%達成、Bは○○の課題があり未達成、Cは目標が低かったので100%達成、・・・と列挙できる人がでているかもしれません。
 成果統合力の部分でもふれたと思いますが、成果を追求するためにはまず何よりも明確な目標とそれを達成するやる気がなくてはなりません。管理職の本来的な仕事は、その目標が適切か、達成への意欲は十分か、情報を収集し自分の頭で思考し、ベストな戦略で達成への道を歩んでいるかを評価することで、プロセス上でのアドバイスが特に重要になっています。「自己申告」がただのABCDEをつける根拠になって、「だめな人だからだめだった」では、管理職が「E」となります。・・・と厳しいことを言っても、教育で最も難しい問題がこの「目標」です。

 いじめが原因である生徒が不登校になった。この問題の解決の目標は何でしょうか。「学校に登校させること」でしょうか。「いじめの原因をとりのぞくこと」でしょうか。「よりよいクラスづくりをすること」でしょうか。「いじめた人間を見つけて謝罪させること」でしょうか。「そもそもいじめだけが原因かを明らかにすること」でしょうか。
 問題が多発すればするほど、何が目標で、何が手段で、何が重要なことで、教師の役割や親の役割は何なのか、などが混乱して成果が出ないケースをたくさん見てきました。
 事務的な仕事が多くて子どもと接する時間が少ない。・・・ではどうしたいのか。事務的な仕事がゼロだったら、どの子どもといつどのように接するのか。何のために接するのか。事務的な仕事が避けられないのならば、それが多い理由を知っているのか。なぜその仕事をしなければいけないのか。なぜその仕事が「多い」と思えてしまうのか。本当に「多い」のか。・・・目指す成果が明確に描けていないと、教育というのはうまくいかないものです。
 「成果を上げている教師を評価してあげればもっと成果を出すようになる」というのは本当か。・・・教師はそういう見返りを求めて教育の成果を出そうとする存在だとは、悲しすぎて考えたくないですね。
 自分の「成果」がとてもちっぽけなものであることに耐えられることが教師の重要な資質の一つであると考えています。すべては子どもに支えられている存在でもあるわけですが。
 

Win-Win-Winの学校選択

【前回の続き】 9 対人関係力
 中学校で担任として気遣いが必要なことの一つに、教科担任と生徒の関係があります。「対人関係調整力」といったようなものでしょうか。
 教科の学習が好きになるかならないか、得意になるかならないかは、担当教師の専門性、指導力が左右することはもちろんですが、単純に「尊敬するに値する人かどうか」「自分を認めてくれる人かどうか」「おもしろい人かどうか」が大きく影響してきます。
 ですから行事の打ち上げとか何かの折に聞き出した先生方のエピソードをタイミングよく子どもたちに披露し、勝手に尊敬の念を植えつけるとか、意外性をおもろしがらせるとか、そういうフォローをします。
 教科が得意になりたかったら先生と仲良くなり、先生を好きになれ!という命令?を下すこともありますが、もちろん勉強が苦手でも先生のことが好きな子どももたくさんいます。
 教師の中には子どもにほめられるとその気になって雑談で授業をつぶしてしまう人もいますが、それはご愛嬌で、10時間の念仏より1時間の集中の方が効果が大きくなる場合もあります。
 人をかげでほめるとか、長所を第三者が指摘するという手は、経営者も使っている人を動かす方法の一つです。
 話し手と子どもの関係がよくなり、子どもと紹介された人との関係がよくなり、紹介された人と話し手の関係がよくなる。Win-Win-Winの関係が構築されます。自分自身がどれだけ助けられたか計り知れません。
 保護者会や三者面談、二者面談をするときは保護者に子どものよさをPRするいい機会ですが、そのあとは、子どもに対して保護者のよさを話してあげるネタが手に入ります。

 ある塾の関係者がなるほどと思えることを言っていました。
 改革が進んでいい成果を残しだしている学校の、今後を占う方法は、学校説明会などで、何人かの先生にあえて校長を批判するような質問をすることだそうです。本物の学校は、どの教師も、校長の経営能力をほめた上で、教師たちの力のすばらしさ、その期待に応えようとする生徒のすばらしさをPRする。
 一方で、「管理職」と聞くだけで拒絶反応を起こす教師もいます。そういう人が多い学校は、やがて改革は頓挫し、元の木阿弥になってしまうというのです。長年、学校を外部から見てこられた人ならではの見方です。
 学校の教師のホンネを聞き出す質問は簡単です。
 「最近は改革、改革って、先生方の本来の力が出しにくくなっていませんか?事務仕事が多くなって。」
 反応をいくつか予想しておくと、教師はどのようなタイプに分かれるか、どんなタイプの教師が多いかわかると思います。最後の質問は、「先生はどんな力を一番発揮したいですか?」

【わんわんさんコメントありがとうございました】
 先生のブログもこれから楽しみに拝見させていただきます。

悪口だけは一人前という悪口

9 対人関係力(B 実行力の②対人)
 今、教師が最も対応に苦慮しているのは、子どもよりも保護者(とそのまたかつての保護者)ではないでしょうか。「子どもは親を見て育っていますからね」という軽口ができる学校と、そう言ったらまともに怒り出す保護者がいる学校があるでしょう。
 学校でも行政でも、もちろん本当に子どものことを考えて、危機的状況への対応を依頼する保護者もおられましたが、自分の感情をコントロールできず、論理的思考ができない方たちも珍しくありませんでした。
 毎年くりかえされることですから、教師は保護者との関係構築のためにPTA行事に参加したり、おたよりを出して学校のようすを知ってもらったり、保護者会や授業参観への参加をよびかけたりしていますが、前述の困った方は(もちろん仕事で忙しい方もいらっしゃるでしょうが・・・いちばん協力してくださる方はいちばん仕事を抱えている方である場合も多いですが・・・)、行事や保護者会には参加されず、おたよりは読まず(結果、会費等の支払いは催促しなければ必ず遅れ)、教育「関係者」としてふつうの会話が成立しにくいことが多い。PTAの組織力で問題に対処しようとすることもあります。しかし、よく地域の教育力向上だとかいって「他人の子どもでも叱ろう」というフレーズがありますが、「注意した子どもの保護者、その子どもにあとでどんなことをされるか恐ろしいから叱れない」というケースも多々あります。一家惨殺というニュースの記憶も新しい。
 さて、実例をあげられないのでわかりにくいかもしれませんが、不登校や問題行動への対応のため、つねに複数の生徒や保護者に多様なレベルでのはたらきかけしなければいけない教師にとっては、改善されない諸問題をどうしても相手の責任にしてしまいがちです。
 授業が成立しない場合も、「授業を静かに受けようとする気がない子どもが悪い」「学習の習慣をつけさせていない家庭が悪い」「基本的生活習慣を身に付けていない」という状況説明しかできない教師もいますし、「あの子は家庭環境を考えればもう手のつけようがない」と指導を放棄する教師もいます。前者はそもそも職務の不履行であるという問題であるのに対し、後者の方は「ほかにいくらでも仕事がある」という言い訳が成り立つような気もします。
 ただ、「管理職が悪い」とか、「教育行政がなってない」「文部科学省がだめだ」とか、悪口を言っているひまのある人には、せっかくの時間を問題の解決にふり向けてほしいと思ってしまいます。
 「管理職はこれこれこういうはたらきかけをすべきだ」「行政のスリム化を進めるために、現場での事務も効率化すべきだ」「文部科学省はこれこれこういう研究の指定校を増やすべきだ」とか、学校をこえて問題解決のための提言の情報センターを組織しているはずの教職員が「悪口だけは一人前」という状況では困ります。
 企業の世界の営業のプロ、カウンセリングのプロ、占い師、何でもかまいませんが、対人関係構築力のコンピテンシーが全身から発せられているような方からヒントが得られないでしょうか・・・。教職員のスーパーでの研修のように、営業笑いの仕方だけ学んでくるような小手先のものではなくて・・・。
 なかには「どんな親でも飲み屋で語れば・・・」という古風な教師もいます。ただ、一人親家庭やお酒が苦手な人、お金がない人など、だれにでも通用する力ではありません。
 これまで優秀な教師も何人も見てきましたが、「おれの酒が飲めないやつには・・・」と群れて騒げる仲間以外には気を許さない教師がいました。その方々の優れたコンピテンシーは、学校で飲食ができなくなった時勢の力と高齢化によって、次の世代に受け継がれることなく消え去ろうとしています。
 このブログの旧タイトルは、「宮城谷昌光再読」で、小説の登場人物の言葉から、この対人関係力を向上させるヒントを探ってきました。前にも書きましたが、50ほどの引用を整理する時間がほしいです。
 

« 2005年10月 | トップページ | 2007年1月 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より