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職員会議の評価方法は?

【前回の続き】 5 論理統合力
 会議についての問題点は企業人だけでなく教師たちの多くも感じていると思います。中学校の教師は多忙感をもっており、7番目のコンピテンシー「効率調整力」でもふれますが、「時間を有効に使う」ことも成果をあげるのに必要な力になります。ですから「時間を無駄に使っている」実感が高い会議に問題があれば、改善しなければなりません。一言で表現すれば、会議は「論理統合」や「戦略立案」の場とし、「思考」の場、最悪でも「調整」の場としたいものです。「連絡」「指示」だけの目的で開かれる会議ほど無駄なものはありません。
 齋藤孝先生に「会議革命」(PHP研究所)という本があり、「あなたの会社の会議は大丈夫か?」というチェックリストが冒頭に紹介されています。「別のことをしていても大丈夫」「アイディアを出さないくせに、注文ばかりつける人がいる」「一人の話が長くてうんざりする」「意見の質ではなく、声の大きさで決まることがある」など、学校でも心当たりの多い例がたくさん出てきます。
 学校で代表的な会議は「職員会議」です。現場でないとご存知ない方も多いと思いますが、「職員会議」というのを学校が必ず設ける必要はありません。校長の必要に応じて開くものという位置づけです。ただ、慣習的にこの会議というものはあり、なぜか校長への不平不満の発表の場になっていたりします(直接言えばいいでしょうが、大勢の場で攻撃することに意味があるようです)。職員会議に先立って、校長・教頭(副校長)、主任等で開く会議があり、学年や分掌ごとの会議がありと、下手をすると同じ話を3回聞かされる場合があります。不登校生徒や問題行動の報告、行事の分担の発表などは職員会議で行われています。学校の年間の動きはほとんど決まっていますから、どの職員会議で何が報告されるかは4月にわかっているのが学校というところです。
 この会議を改善していくために、たとえば学校評価では、職員会議に費やされた時間の何%が単純な伝達事項であり、うち何%が「もっと早く知らせろよ」という内容であり、どの教員がどれだけ建設的(あるいは非協力的)意見を述べたかなどを振り返る必要があります。
 学校によっては卒業式のシーズンになると必ず職員会議が長くなります。校長先生の自殺で促された面もありましたが、国旗・国歌の法律が制定されたおかげで、「国旗を掲げる」「掲げない」「国歌を歌う」「歌わない」で延々と相手の立場と関係のない意見の述べ合いはなくなりましたが、「職員会議で必ず意見を述べること」という使命がある団体の人はそれでも決められた言葉を発表しなければなりません。学校では卒業式が「儀式」なら、卒業式シーズンの会議で聞かされる話も「儀式」です。
 こういう必ず出てくる意見の一方で、多くの教師が問題だと考えていながらあまり取り上げられない議題が、「○○先生の授業が成立していません。どうしたらよいか」「子どもの自習時間が多いと思ったら、どうやら本の原稿か試験の勉強のようなものに取り組んでいる先生がいるがどうしたらいいか」という身内の問題です。管理職の指導力の問題だと言い切ることもできますが、教育の信用にかかわる問題の解決のための戦略づくりこそ「会議」のテーマにしなければなりません。
 授業が成立しない教師が、何を勘違いしているのかクラスの担任の教師に「先生のクラスはうるさくて・・」と苦情を訴えてくるケースがありますが、たしかに会議で「自分の指導力のなさをわざわざ担任に協力してもらって生徒に確認させようとする先生がいます」などと問題にする必要はないのですが、こういう指導力不足の教師を放置している学校が多いことは事実です。
 現場からいったん研修の場に遷される人もいますが、そのレベルになると復帰させることも気の毒、やめてもらうことも気の毒という八方ふさがりになるそうです。
 自信がない教師、指導力不足を自覚できていない教師には、現状の問題点の把握、改善策の検討、実行、成功、新たな課題の設定と、のぞましいマネジメントサイクルを体験させてあげること、とにかく成功体験、自己有能感をもってもらうことが大事なので、このための知恵を学校ごとにしぼってほしいものです。
 私が体験した会議で最も内容が濃かったのは、総合的な学習の時間や学力モデルを練るための構成員4人の会議でした。放課後でなく4人の空き時間をいっしょにしてもらい、頭を使いましたが、毎時間、完全燃焼でした。横でお菓子を食べたり雑談をしている人も気にならず、議論に集中できました。このようにプロジェクトチーム方式で方針や提案を考える会議が学校ではもっと必要かもしれませんね。
 どこまでが「会議」でどこから「研修」なのかがわからなくなってくると、「会議」の質が高まっているということではないでしょうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より