ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 2005年6月 | トップページ | 2005年10月 »

2005年7月

ピンポイントアドバイスの極意

戦場は臨機応変の場である。敵も必死であり,詐謀が盤渦している場でもある。長とよばれる者は,将軍のみじかい命令に従えばよいというのではなく,その命令をおのれの言語にかえて活かす工夫をしなければならない。…長くてくどい命令は属将の発想をしばり,将器の拡大をさまたげる。

参考 「楽毅」第四巻(宮城谷昌光著)新潮文庫
281頁

 教師の失敗-55
   ピンポイントアドバイスが苦手である

 管理職や主任レベルの人間に指導を受けず,
マイウェイで実践しながら力量を向上させていく
教師も多くいます。
 ただし,当然の話ですが,「どこか抜けている
な」というところがあるのがこのタイプの教師の
特徴です。
 
 教師は,わざわざ口に出さずに他の教師の
フォローをする場面がたくさんあります。
 フォローを尻拭いだといって嫌う者もいますが,
たいていはこのフォローのおかげで生徒との
関係は持続し成立するものです。

 指導力のない教師の「指導」はたいてい
「くどい系」か「投げやり系」です。
 こういう教師の「指導」では,受ける側の自己
教育力は伸びません。

 問題をおこす前も後も,教師だけでなく生徒の
方でも一人の人間にかかわっていられる時間は
決して多くはありません。

 小さな声かけの運動でも,問題行動の発生を
防止できる効果があることは知られています。

 短いアドバイスとその効果の研究をしている
学校はあるでしょうか。

 管理職から教師へ,教師から教師へ,教師から
生徒へ,どんな一言が相手の行動を活性化させ
られるのでしょうか。
 考えていきたいテーマの一つです。
 
 私が心がけていたのは,声かけの後,子どもの
表情の変化を見逃さず,その変化にこちらも応え
てあげたことです。成功と失敗を分けるのは,たい
ていはタイミングの問題でした。
 
 声かけは失敗もありますが,目を離さず失敗に
気付き,失敗を失敗で終わらせないのが,教育
失敗学の目指す指導像です。

組織と呼べる条件は?

いまや戦いは個人戦ではなく,組織戦であり,組織の機能を発揮させることを重視すべきであり,軍制が古びた楚軍は参考にならない。

参考 「楽毅」第四巻(宮城谷昌光著)新潮文庫
260頁

 教師の失敗-54
   組織的な動きができない

 教師の組織力の強さや弱さは,「荒れた学校」に
足を運ぶとすぐわかります。
 結束を固めて立て直しを図ろうとしているか,教師
が無気力・無抵抗主義をとっているかを肌で感じる
ことができます。
 こうも表情に乏しい人間がいるのかと驚くほど,
生活指導無責任主義をとっている人,ただ笑顔だけ
守ろうとする人,親父ギャグでおどけているだけの
人もいます。
 行事運営や学年経営など,組織的に動くのが得意
な場面もあるのですが,力量の差が歴然としてしまう
ため,自ら控えめにしてしまう人もいます。

 組織力を発揮させるために,行政側では管理職に
リーダー論をたたきこもうとしますが,リーダーを経験
したことがない人に,リーダーとしての動きを期待した
り,リーダーづくりを任せたりするのは無理な話です。

 優秀なリーダーがいれば苦労しない話ですが,組
織力はリーダーがいなければ発揮できないものかと
いえば,そうでもありません。

 今,教育現場に強く求められているのは,学力向
上を実現するための学校の組織力です。
 みんなが納得して決めたことを,みんなで守るだけ
でよくなることもあります。
 授業開始の時間には教室にいること,寝ている子
はおこすこと,忘れ物に注意すること,形成的評価
を適宜行うこと(年に数回のテストの結果で「もっと
勉強しろ」とは言わない)。

 これこれの方針だけはすべての教師が実行して
いますと胸をはっている学校に,子どもは通わせ
たいです。

« 2005年6月 | トップページ | 2005年10月 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より