「普通の生徒」は横綱級の禁句
雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
参考 「楽毅」第四巻(宮城谷昌光著)新潮文庫
177頁
教師の失敗-53
「普通の子どもです」と言ってしまう
教育現場にいると、見えていないものの本当の
大きさに愕然とさせられることが多くあります。
見えているもので一喜一憂するような人間や、
事件に飛びつく商売の人たちにはほとんど関心
のない部分に、教育の真価が問われるものが
点在しています。
毎日汚れたシャツを着てきている生徒がいれ
ば、家庭内の不和が予想できるように、不幸を
味わっている者はわかりやすいサインを発する
場合があります。サインだらけの「荒れた学校」
を見ると、「教師は何をしているんだ」「どんな親
なんだ」と外部の方は言いたくなるかもしれませ
んが、そんな甘えた成長途上人よりも、それなり
に精神的に成長して、悩みをもちながらも他の
人に心配をかけないように生きている多くの子ど
もたちには目が向けられにくいことが問題です。
以前ここで書いた、「数に入れられていない」
子どもたち、「普通の」子どもたちです。
個性を重視すると教育課程でうたっておきなが
ら、「普通の子」と平気で「個性がないこと」を強
調するようなことを言う教師がいます。
崖を滑り落ちようとしている子どもを救うのもも
ちろん必要ですが、崖下の人間と引っ張り合い
をしている場合でないことも認識しなければいけ
ません。
子どもとともに雲の上を目指せるような教師で
ありたいと思います。
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