失敗時の喪失感を増幅するもの
なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
参考 「楽毅」第二巻(宮城谷昌光著)新潮文庫
284頁
教師の失敗-48
成功への過信が失敗時の喪失感を高めてしまう
教育に長く携わってくると、それなりの信念や
自信が備わります。一方では、年を追うごとに
自信を失っていく教師もいます。
授業研究、教材研究なども、やればやるほど
わからなくなる、自信がなくなるという時期は必
ず訪れます。見かけだけでも自信満々風で対処
して、切り抜けなければならない修羅場も多くあ
りますから、完全にいっぱいいっぱいにならない
ですむようなゆとりは必要ですが、教師にとって
一番危険なのが、自信過剰な状態です。
常に自分自身には言い聞かせてありますが、
授業は「いくさ」といっしょで、二度と同じ戦いは
ありません。
同じ学年で複数クラスの授業をもっていると、
「同じ話を何回もするのはつらいでしょう」とよく
言われますが、同じ題材でも「同じ授業」には
決してなりません。
同じ発問でも全く異なる局面に発展する場合
もあり、扱う教材が生きたものだと予想ができ
ない方向に授業が流れます。
発言などの刺激で教材解釈の改善を授業中
に検討したくなる場合もあります。
「前のクラスのようにうまくいくだろう」という
楽観は、授業では決してできません。
これが、生活指導のように個性が全く異なる
子どもたちを対象とする教育では、学習指導と
同等かそれより困難で、ある個人や集団に
響いた指導も、他の個人や集団では響かなく
なることがあり、まじめな教師はそこで自信を
失ってしまいます。
教育という仕事は、年を追うごとに自信を失っ
ていくものだと最近は思うようになりました。
しかし、教育という仕事が将来の日本を支える
子どもをつくるという信念だけは失いたくないと
思います。
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