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中学校学習指導要領解説 総則編(平成20年9月) 第5節 教育課程実施上の配慮事項より 1 生徒の言語環境の整備と言語活動の充実(第1章第4の2(1))

1 生徒の言語環境の整備と言語活動の充実(第1章第4の2(1))

( 1 ) 各教科等の指導に当たっては, 生徒の思考力, 判断力, 表現力等をはぐくむ観点から, 基礎的・基本的な知識及び技能の活用を図る学習活動を重視するとともに, 言語に対する関心や理解を深め, 言語に関する能力の育成を図る上で必要な言語環境を整え, 生徒の言語活動を充実すること。

 前述のとおり,今回の改訂では,基礎的・基本的な知識・技能を習得する学習活動,これらの活用を図る学習活動及び総合的な学習の時間を中心とした探究活動といった学習の流れを重視し,基礎的・基本的な知識・技能の習得とこれらを活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等の育成をバランスよく図ることとしている。
 この点についての中央教育審議会の審議の流れを整理すると,平成17年10月の中央教育審議会答申(「新しい時代の義務教育を創造する」)は,習得型の教育と探究型の教育とは対立的・二者択一的にとらえるべきものではなく,両方を総合的に育成することが必要と提言したが,習得と探究をどのように関係付けて総合的にはぐくむのかその具体的なイメージがはっきりしないといった指摘もあった。そこで,中央教育審議会教育課程部会では,現在でも取り組まれている観察・実験,レポートの作成,論述といった知識・技能の活用を図る学習活動をその両者の間に位置付け,実際の指導において知識・技能の習得を図る学習活動,知識・技能の活用を図る学習活動,総合的な学習の時間を中心として行われる,教科等の枠を超えた横断的・総合的な課題について各教科等で習得した知識・技能を相互に関連付けながら解決するといった探究活動などの学習活動の動態的な流れを意識するとともに,各教科で知識・技能を活用する学習活動を充実することができるよう授業時数を見直したりこれらの学習活動の流れの基盤である言語に関する能力を重視したりする必要があるとの審議が行われた。
 その結果,新しい学習指導要領についての中央教育審議会答申(平成20年1月)は,知識・技能の習得や活用,探究について次のように提言した。

 ・教科では,基礎的・基本的な知識・技能を習得しつつ,観察・実験をし,その結果をもとにレポートを作成する,文章や資料を読んだ上で,知識や経験に照らして自分の考えをまとめて論述するといったそれぞれの教科の知識・技能を活用する学習活動を行い,それを総合的な学習の時間における教科等を横断した課題解決的な学習や探究活動へと発展させることが必要である。

 ・これらの学習活動は相互に関連し合っており,截然と分類されるものではないせつ
が,知識・技能を活用する学習活動やこれらの成果を踏まえた探究活動を通して,思考力・判断力・表現力等がはぐくまれる。

 ・各教科での習得や活用と総合的な学習の時間を中心とした探究は,決して一つの方向で進むだけではなく,例えば,知識・技能の活用や探究がその習得を促進するなど,相互に関連し合って力を伸ばしていくものである。

 このため,今回の改訂においては,例えば,言葉の特徴やきまりに関する事項や漢字に関する事項の指導を充実させたり(国語),学び直しの機会を設定することに配慮したりする(数学)などの学習活動を各教科の内容に加え,発達の段階に応じた知識・技能の習得に配慮している。その上で,各教科において,例えば,数学科では,「日常生活や社会で数学を利用する活動」といった数学的活動を例示するとともに,理科では,「継続的な観察や季節を変えての定点観測」といった観察・実験を重視するなど知識・技能の活用を図る学習活動を新たに設けた。これらの学習を通じ,「抽象的な概念を表す語句」の理解(国語),「数量や図形などに関する基礎的な概念」の理解(数学),「科学的な概念を使用して考えたり説明したりするなどの学習活動」の充実(理科)など各教科の基本的な概念の理解も重視している。
 また,知識・技能を習得するのも,これらを活用し課題を解決するために思考し,判断し,表現するのもすべて言語によって行われるものであり,これらの学習活動の基盤となるのは,言語に関する能力である。さらに,言語は論理的思考だけではなく,コミュニケーションや感性・情緒の基盤でもあり,豊かな心をはぐくむ上でも,言語に関する能力を高めていくことが求められている。したがって,今回の改訂においては,言語に関する能力の育成を重視し,各教科等において言語活動を充実することとしている。
 具体的には,言語に関する能力を育成する中核的な教科である国語科においては,
小学校教育及び中学校教育を通じて,話すこと・聞くこと,書くこと,読むことのそれぞれに記録,要約,説明,論述といった言語活動を例示した。また,各教科においても,

 ・「持続可能な社会を形成するという観点から,私たちがよりよい社会を築いていくために解決すべき課題を探究させ,自分の考えをまとめさせる」(社会)

 ・「数学的な表現を用いて,根拠を明らかにし筋道立てて説明し伝え合う」といった数学的活動の充実(数学)

 ・「問題を見いだし観察,実験を計画する学習活動,観察,実験の結果を分析し解釈する学習活動,科学的な概念を使用して考えたり説明したりするなどの学習活動」の充実(理科)

 ・「音楽を形づくっている要素や構造と曲想とのかかわりを理解して聴き,根拠をもって批評するなどして,音楽のよさや美しさを味わうこと」の重視(音楽)

 ・「造形的なよさや美しさ,作者の心情や意図と創造的な表現の工夫,目的や機能との調和のとれた洗練された美しさなどを感じ取り見方を深め,作品などに対する自分の価値意識をもって批評し合うなどして,美意識を高め幅広く味わうこと」の重視(美術)

 ・「衣食住やものづくりなどに関する実習等の結果を整理し考察する学習活動や,生活における課題を解決するために言葉や図表,概念などを用いて考えたり,説明したりするなどの学習活動」の充実(技術・家庭)

 ・「作戦などについての話合いに貢献しようとする」活動の重視(保健体育)

などそれぞれの教科の特質に応じた言語活動の充実について記述されている。また,外国語科において,言語や文化に対する理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,聞くこと,話すこと,読むこと,書くことなどのコミュニケーション能力の基礎を養うのはもとよりのこと,道徳においても,「自分の考えを基に,書いたり討論したりするなどの表現する機会を充実」することを,総合的な学習の時間では,「問題の解決や探究活動の過程においては,他者と協同して問題を解決しようとする学習活動や,言語により分析し,まとめたり表現したりするなどの学習活動が行われるようにすること」をそれぞれ重視している。さらに,特別活動では,「体験活動を通して気付いたことなどを振り返り,まとめたり,発表し合ったりするなどの活動」の充実が規定された。
 このように,今回の改訂においては,各教科等を通じ基礎的・基本的な知識・技能の活用を図る学習活動や言語活動の充実を図っているところであるが,その基本的な考え方を総則上明示したのが本項である。
 なお,このように言語に関する能力を向上させ,言語に対する意識や関心を高め理解を深めることは,各教科等における指導だけでなく,学校生活全体において配慮することが大切である。
 今日,マスコミや情報通信ネットワークなどの情報手段の発達や映像,出版物の氾濫などにより,生徒を取り巻く環境は著しく変化している。それらは,生徒の言語活動にも影響を及ぼしており,それだけに学校教育において国語を正しく理解し用いる能力や態度の育成について配慮していくことがますます重要となっている。また,そのことを通じ,生徒が様々な情報に対し主体的にかかわっていく能力や態度の育成を図ることが期待される。このため,各学校において生徒が日常生活における言語の役割や機能などについて意識や関心をもち,正しく美しい国語を用いるように指導していくことが必要であり,また,教師自身も言語に対する意識と関心をもって指導に当たることが必要である。
 その際,生徒の言語活動は,マスコミや地域社会及び家庭だけでなく,学校における環境に大きく影響される。したがって,生徒の言語活動がより適正に行われるようにするためには,学校生活全体における言語環境を十分に整えておくことが大切である。学校生活全体における言語環境の整備としては,例えば,①教師は正しい言語で話し,黒板などに正確で丁寧な文字を書くこと,②校内の掲示板やポスター,生徒に配布する印刷物において用語や文字を適正に使用すること,③校内放送において,適切な言葉を使って簡潔に分かりやすく話すこと,④適切な話し言葉や文字が用いられている教材を使用すること,⑤教師と生徒,生徒相互の話し言葉が適切に行われるような状況をつくること,⑥生徒が集団の中で安心して話ができるような教師と生徒,生徒相互の好ましい人間関係を築くことなどに留意する必要がある。なお,言語環境をはじめ学校教育活動を通じ,色のみによる識別に頼った表示方法をしないなどの配慮も必要である。
 また,前述のとおり,国語科の指導においてはもとより,その他の教科等においても,生徒による発表,討議,ノート記述,レポート作成などの言語活動を活発かつ適正に行わせ,豊かな言語能力を養っていくよう配慮していくことが大切である。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より