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7 指導方法や指導体制の工夫改善など個に応じた指導の充実(第1章第4の2(7))

7 指導方法や指導体制の工夫改善など個に応じた指導の充実(第1章第4の2(7))

( 7 ) 各教科等の指導に当たっては, 生徒が学習内容を確実に身に付けることができるよう, 学校や生徒の実態に応じ, 個別指導やグループ別指導, 繰り返し指導, 学習内容の習熟の程度に応じた指導,生徒の興味・関心等に応じた課題学習, 補充的な学習や発展的な学習などの学習活動を取り入れた指導, 教師間の協力的な指導など指導方法や指導体制を工夫改善し,個に応じた指導の充実を図ること。

  生徒はそれぞれ能力・適性,興味・関心,性格等が異なっており,また,知識,思考,価値,心情,技能,行動等も異なっている。生徒が学習内容を自分のものとして働かせることができるように身に付けるためには,教師はこのような個々の生徒の特性等を十分理解し,それに応じた指導を行うことが必要であり,指導方法の工夫改善を図ることが求められる。それによって,生徒一人一人が基礎的・基本的な知識・技能を確実に習得し,それらを活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等をはぐくみ,その後の学習や生活に生かすことができるようにするとともに,自分自身のものの見方や考え方を持てるようにすることが大切である。また,生徒が主体的に学習を進められるようになるためには,学習内容のみならず,学習方法への注意を促し,それぞれの生徒が自分にふさわしい学習方法を模索するような態度を育てることも必要となる。そのための生徒からの相談にも個別に応じることが望まれる。なお,こうした指導方法の工夫はすべての生徒に対応するものであるが,学習の遅れがちな生徒には特に配慮する必要がある。
 個に応じた指導のための指導方法や指導体制については,生徒の実態,学校の実態などに応じて,学校が一体となって工夫改善を進めていくことが重要である。すなわち,各学校は,その環境や教職員の構成,施設・設備などがそれぞれ異なっているが,それらに応じて最も効果的な方法を工夫し,組織体としての総合的な力を発揮していくことが大切である。特に,中学校は教科担任制を原則としているため,同一教科間はもちろん異教科間の教師の連携協力という観点が重要である。学校には,校長,副校長,教頭,主幹教諭,指導教諭,教諭,養護教諭や栄養教諭など専門性を有する教職員がおり,これらすべての教職員が協力して生徒の指導に当たることが必要である。指導体制の充実は,学習指導や生徒指導などに幅広くわたるものであり,学校全体が,共通理解の下に協力して教育活動を進めていかなくてはならない。
 指導体制の工夫改善を進める上で校長の果たす役割は大きいので,校長は指導力を発揮して,指導体制の活性化を図るよう努めることが必要である。また,校長や副校長,教頭が授業の指導を行ったり参加したり,学習指導について経験豊かな指導教諭などの教師が他の学級の授業を支援したりするなど,様々な工夫をすることが求められる。さらに,指導案の作成,授業研究などを学年会や教科部会,学校全体などで行い,広く意見を交わし合い,教師間で情報の共有を図るような機会を設けたり,それぞれの役割分担を明確にすることも,より効果的な指導を行うためには大切である。なお,教師が教材研究,指導の打合せ,地域との連絡調整などに充てる時間を可能な限り確保できるよう,会議の持ち方や時間割の工夫など時間の効果的・効率的な利用等に配慮することも重要であろう。
 指導方法については,生徒の発達の段階や学習の実態などに配慮しながら,従来から取り組まれてきた一斉指導に加え,個別指導やグループ別指導といった学習形態の導入,理解の状況に応じた繰り返し指導,学習内容の習熟の程度に応じた指導,生徒の興味・関心や理解の状況に応じた課題学習,補充的な学習や発展的な学習などの学習活動を取り入れた指導などを柔軟かつ多様に導入することが重要である。
 学習内容の習熟の程度に応じた指導については,教科により生徒の習熟の程度に差が生じやすいことを考慮し,それぞれの生徒の習熟の程度に応じたきめ細かな指導方法を工夫して着実な理解を図っていくことが大切であることから,これらの指導方法等が例示されているものであるが,その指導については,学級内で学習集団を編成する場合と学級の枠を超えて学習集団を編成する場合が考えられる。その実施に当たっては,学校の実情や生徒の発達の段階等に応じ,必要な教科について適宜弾力的に行うものであり,実施時期,指導方法,評価の在り方等について十分検討した上で実施するなどの配慮が必要である。また,各学校で学習内容の習熟の程度に応じた指導を実施する際には,生徒に優越感や劣等感を生じさせたり,学習集団による学習内容の分化が長期化・固定化するなどして学習意欲を低下させたりすることのないように十分留意する必要がある。また,学習集団の編成の際は,教師が一方的に生徒を割り振るのではなく,生徒の興味・関心等に配慮し,自分で課題や集団を選ぶことができるよう配慮することも重要である。その際,生徒が自分の能力・適性に全く合致しない課題や集団を選ぶようであれば,教師は適切な助言を行うなどの工夫を行うことが大切である。また,保護者に対しては,指導内容・指導方法の工夫改善等を示した指導計画,期待される学習の充実に係る効果,導入の
理由等を事前に説明するなどの配慮が望まれる。なお,中学校は義務教育段階であるということを考慮し,基本的な学級編制を変更しないことが適当である。
 生徒の個性が多様化する中,その伸長を図る観点から,生徒の興味・関心等に応じた課題学習,補充的な学習や発展的な学習などの学習活動を取り入れた指導を実施する際には,それぞれのねらいを明らかにし,授業で扱う内容と学習指導要領に示す各教科等の目標と内容との関係を明確にして取り組むことが大切である。特に,補充的な学習を取り入れた指導を行う際には,様々な指導方法や指導体制の工夫改善を進め,当該学年までに学習する内容の確実な定着を図ることが必要であるし,発展的な学習を取り入れた指導を行う際には,生徒の負担過重とならないように配慮するとともに,学習内容の理解を一層深め,広げるという観点から適切に導入することが大切である。このほかにも,教材・教具の工夫や開発,コンピュータ等の教育機器の活用,指導の過程における形成的評価などの評価の工夫など生徒の実態や指導の場面に応じ,多方面にわたる対応が必要であろう。
 また,指導体制については,それぞれの学校の実態等に応じ様々な形で,その工夫改善に積極的に取り組んでいくことが大切である。その具体例としては,ティーム・ティーチング,合同授業などの実際の指導場面におけるもののほか,指導案の作成,教材・教具の開発,共同研究や研修,他の学校との連携,協力などが考えられる。また,食育その他の心身の健康の保持増進に関する指導においてこれらについての専門性を有する養護教諭や栄養教諭の積極的な参画・協力を得たりすること,学校内にとどまらず,学校外の様々な分野の専門家の参加・協力を得たりすることなど様々な工夫を行い,指導の効果を高めることが大切である。

*中学校学習指導要領解説 総則編(平成20年9月) 第5節 教育課程実施上の配慮事項より 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より