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教員採用試験 合否を分ける(?) 質問例

  1. あなたは,東京タワーと東京スカイツリー,どちらのような教師になりたいですか?
  2. あなたが教育実習を行った学校の教師の指導で,「こうすべきではない」とあなたが思った」事例を一つ挙げてください。また,「こうしう指導を私もしてみたい」と思った事例も一つ挙げてください。
  3. 部活動に遅れてきた生徒を注意したら,「こんなに早い時間じゃ来られない」と逆ギレされてしまいました。あなたならこのあとどうしますか?
  4. 教育実習期間中に,就職活動のため(面接のため)に欠勤したことはありますか?
  5. あなたの教育実習の指導教官があなたに特に強く伝えようとしていたことは何ですか?
  6. あなたに対する仕事の指示が,学年主任と副校長で異なっていた場合,あなたならどうしますか?
  7. あなたが経験したことのない運動の部活動の顧問を頼まれたら,どうしますか?
  8. あなたは教師が教室に来ないで自習になることについてどう思いますか?
  9. 精神疾患で休職になる教師は,50歳代が最も多く,新しい学校に異動して2年以内に休職となるケースが多いようです。これはなぜだと思いますか?
  10. 公立学校よりも私立学校の方が,充実した教育を行っているのはどのような点だと思いますか?
  11. あなたがもし経済的に恵まれていて,子どもがいて中学校に進学するとしたら,私立学校に進学させたいですか,公立学校に進学させたいですか。

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コメント

またまた,長いお話をありがとうございます。

面接というのは,こういう話ができない,歯がゆいものなのですね。

ですから,印象的で,インパクトがあり,思わずうなずいてしまうような,短い話ができることが教師には求められています。

5分の「説教」よりも,「20秒の説諭」。

面接では,そういう「力」も問われているわけです。

もちろん,そんな「力」が備わっている人はまれなのですけれど。

> 「東京スカイツリー」は,住宅街の中にできていることをご存知ですか。
 
 地域の住民にとっては多大な「迷惑施設」であると言えますが,それについてのあなたのお考えを聞かせてください。

 私なら,こういう質問を次に投げかけます。
-----------------------------------------
どんなことでも、初めてやることには、十分検討しあらゆる事を想定したとしても、何らかの不都合な点が出てくることは当然のごとくあります。
スカイツリーの場合、早速、雪の塊(水分を多く含んだ雪とそれが再度凍った塊)が周囲100mに落下するという危険な問題が発生しています。
その一方で重要な対案として、問題発生するかもしれないから、今までと同じ事しかしないという考え方が存在します。
 しかしながら東京タワーとて、あの当時初めての高層建築(構築物)だったわけで、それを恐れていたのでは何も文明を築くことは出来なくなります。

 ここで必要なことは、失敗があればそれときちんと向き合う事です。

 もしスカイツリーが出来ても、上記のような不具合と向き合わないで、想定外の出来事だったとして責任逃れをしたらどうなるでしょうか?
 福島第一原発の津波は想定外だったとして逃げて何も改めない(安全を保つには何が必要で何が間違っていたか)という行動をリーダーがしめしたらどうなるでしょう。
 原発があるだけで不安をぬぐえません。たとえ原発が止まっていても使用済み核燃料の冷却の問題があり。制御や冷却の電源が確保できなくなったら、同様のことをまねきます。

 ここで重要なのは、リーダーは決して逃げないというそういう態度が必要であり。子供に体験学習などをさせているようですが、実際には企業に丸投げ、教師の価値はその時点で無くなってしまいます。先生がいたら安心してできるということがとても重要だと考えています。もし問題発生するかもしれないから、間違っていても何も改めないという考え、問題と向き合わないようにする、そういう先生が不測の事態に対応できなくなるというのは目に見えています。天変地異はいつでも起こりうることです。また今日本は平和ぼけとまで言われていますが。その平和ぼけが意味すること、つまり保守的保身的になると言うことで、これが日本人の雇用を外国人に奪われてゆく原因の一つと考えています。

 子供の感受性は大人より敏感で高く、先生が逃げ腰かどうかというのはすぐ解ってしまいます、これは子供が生きてゆく上で必要な能力として備わったことなので、いくら言葉巧みにごまかしても解ってしまいます、日常生活で起こりうる不測の事態にきちんと向き合う、そして最後まで解決の努力をする、それが子供との信頼関係を築くために必要な要因であると思っています。

>1.あなたは,東京タワーと東京スカイツリー,どちらのような教師になりたいですか?

もちろん、東京スカイツリーと答えます。
理由は、新しい事への挑戦、同じものと作るのでは無く、1歩進んだものを作る。
これは簡単なようで実は、既存の技術を網羅的に修得した上でさらなる課題に取り組まなければならないからです。
高さだけでも2倍ぐらい違います。東京タワーと同じに作れるかというとNoです。
スカイツリーでは地震の時の共振の問題を徹底的に解決しようと新技術が提案され
最後は、やったことの無い仕事に挑戦することになります。
 教育においても既成の枠にはめて(指導要領の鵜呑み)授業するのと子供たちに
興味を持たせるように授業するのでは、教える側の教養の広さ深さが問われます。
 今の日本の特に小学校教育においては枠にはめて授業をしようとする教師が
傑出して多いのが現状だと思います。少数派だと思いますが仮説授業という形態の授業を行っている人もいます。実際のところ枠にはめて覚えさせるというのは学習効果が低く、覚える方もストレスが多いです。
 これは人間の脳が常に受け身で知識を詰め込まれるのと、教師と子供との間で円滑なコミュニケーションによって獲得される知識の習得に明らかな違いがあります。
脳科学的にも受け身だけで覚えたことと言うのは忘れても良い記憶として脳の中で扱われますが、疑問や仮説という観点を投げかけて、その上で実はこうなんだと説明する携帯の方が脳のなかでは必要な記憶として残りやすくなります。
 昔ながらの通りに授業を行い丸暗記に集結させるのだったら、教師は必要ありません。
ここで典型的な例題を考察してみようと思います。
30Kmの道のりを時速60Km/hで往復したら所要時間は何分かかるか?という設問
普通往復で60Kmあるのをじそく60Km/hで走行したのだから単純に割り算して1時間=60分と回答するのが今の小学校教育だと思います。

 しかし、3mの道のりを時速60Km/hで往復したら、という設問に変えた場合同じやり方が通用するでしょうか。時速60Km/hを瞬間的に反転させて移動出来る乗り物はありませんし、仮にあったとしてターンの加速度はどうなるのでしょう、人間が乗っていたらその加速度に耐えられるのでしょうか?
そういう疑問を提示してもいいと思うのです。実際なにか物作りをするとき
そういう公式で与えられていない問題の解決をしなければなりません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第1巻より
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    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より