教師のツケは子どもが背負って去っていく ふり返り366日【08/5/21-2】

 教員の指導力向上について,学校空間内だけでなく,社会一般にも「それは無理なことだろう」という空気が流れてはいないでしょうか。

 「先生方は勉強する暇なんかないのでは?部活はあるし,生活指導に時間はとられるし・・・

 一般の方からのそういう意見は,よく現場を知っての上のものでしょう(現在のかもしれませんし,自分が生徒だったころの経験からかもしれませんが)。

 果たして,40歳代,50歳代の教師たちにとって,「教え方を今より上手にすること」が可能なのかどうか?

 そもそも,「今より上手な教え方」というのが,どういう教え方をさしているのか,理解できるのかどうか?

 そういう問いに対しての答えまで,一般の方に求めるのは難しいことでしょう(スキルアップが至上課題の職業に就かれている方は別かもしれませんが)。

 しかし,現場の教師はその方法を知っています。

 それは,研究授業を行うことです。

 ただ校内で開くというだけではなく,たとえば中学校なら,同じ教科を教えている教師たちが集まって,授業のことを考え合う場が絶対に必要です。そこに,「自分よりも専門性が高い」と認めている人を招いて,助言をもらったり議論をかわしたりすることが可能になれば,さらに効果は高くなるでしょう。

 こういうチャンスが絶対にない,ということはないのでは?

 ただ,命令されなければやらないという態度でいるか・・・それとも,「自分が一番傷つくこと」が分かっているから避けているか・・・。

 授業というのは,実はその教師が持っている「大部分の能力」が測定されてしまうくらい,教師にとっては「隠しようのない舞台」となります。

 少なくとも,若いころに真剣や批評を受けた経験がない教師にとっては,それまでの20年,30年の価値を低下させてしまうようなコメントを耳にしたくはないでしょう。
 しかし,耳をふさぎ続けてきたツケは自分ではなく,子どもたちが背負って卒業していってくれたわけです。

 改善を図ろうとする意欲のない大人に,そういう態度を身につけるように指導されている子どもが,「教育」の結果,どうなるかは,想像する通りではないでしょうか。

08/5/21 結局、給与が下がるのが気になるの?

 まずろーさんから、以下の記事について、コメントをいただきました。ありがとうございます。
>教師は、能力とか成果とはほとんど関係なく給料がもらえる職業でしたから、「他の教師より劣っていると評価されること」に後ろめたさというか罪悪感のようなものを抱いてしまうので、「競争」という言葉には過剰反応を起こしやすい傾向があります。

 真理を突いたクリティカルな言葉に、他業種にも当てはまる職業はそういった傾向があるのに気づきます。
 人を育てる現場にあれば、もっとコンピテンシーを意識する感覚を持たねばならぬ業種であるのに残念なことです。
 戦国時代のコンピテンシーを重視した武将、武田信玄は城を持たず人を重んじたといいます。
 人は石垣、人こそ財と。
 きらびやかな見た目の財産よりも義や機動力を重んじ家臣こそ大きな財産と認識していたのですね。
 未熟な人間であることを認識している人は強いです。
 だからこそ向上があり競争心を忘れない。
 競争イコール悪という単純な図式は愚かです。

 「競争」に過剰反応する教師の共通した関心事(結局、自分事)に、人事考課による評価の結果が給与に反映されることへの危機感があります。
 このことについて、他のブログに私がコメントした内容があるので、ここで紹介しておきます。
 結局どんな評価基準にしろ、普通の教員の評価はBになるようにできていますはいじめを放置するとか、学習指導に課題があるとか、コミュニケーション能力が低いとか、だれの目から見てもおかしい人がです。は教員から見ても「辞めさせた方が子どものためではないか」というレベルです。(これ、もしかしたらEのランクか?記憶があいまいですみません)
 達成度のレベルが非常に高い(実現困難な)目標をクリアしないと、はなかなかつきません。
 たとえば、文書管理等の事務作業にかかっていた時間を30%以上削減し、そのうち20%以上を「短時間研修タイム(研究成果の5分間プレゼンなど)」に、10%を「生徒の個別面談時間」に振り分ける、とか、「学校行事や校内研修の企画運営をプロジェクトチーム型にし、企画・運営・評価・改善をスムーズに実行することで、『同僚性が高まった』という組織目標の回答率を30%以上UPさせる」とか、具体的な職務目標をたくさん設定してそれらをクリアするとAになります。

 たとえばの話ですが、担任をもたせることができない、授業で学力がつかない、行事運営を任せられない、欠席が多い・・・こんな40代の教師の手取り40万円の給与から、1万円を、新規採用3年目だが、すでに研究発表を2回こなし、崩壊した学級を任されて建て直し、部活動の指導では地区上位の成果を上げ、不登校生徒への家庭訪問や学習指導に尽くし、保護者からの信頼もあつい手取り20万の教師に振り分けてあげることは、大問題でしょうか?
 一般の公務員というのは能力の違いが昇進によって給与の差に反映されるのですが、教諭という立場の教育公務員は、たとえば上記の事例の2人の場合、給与の差は絶対に縮まらないのですね。
 競争原理が「金儲け主義」で理想が失われているという法律関係の仕事の方の嘆きのコメントが別のブログで紹介されていましたが、教育の世界とは完全に別次元の問題であることは明白ですね。

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昭和の家庭史トリビア?【第7問】 
 昭和2年(1927年)の話です。
 消防署への通報番号がある番号から119番に変更されました。
 もとは何番だったのでしょうか。
 ① 112
 ② 115
 ③ 199

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 【第6問の解答
 ③ 毛生え薬だそうです。

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市民意識の欠如のモデルは公立学校にある?

 毎日jpに「勝間和代のクロストーク ~みんなの経済会議~」というコーナーがあり,6月には「公立学校に地域コミュニティー委員会設置を」というテーマで様々なコメントが寄せられていました。

 教育委員会の職員,PTA関係者はもちろん,公立学校の教師たちにもぜひとも読んでもらいたいコメントばかりです。

 129のコメントの多くは豊かな経験に裏付けられたものが多く,圧倒されるボリュームです。

 投票の結果は,

 賛成18.4%
 だいたい賛成26.3%
 どちらかといえば反対23.7%
 反対31.6%

ということでした。

 ベストアンサーに選ばれた方が問題にしていた「日本は官主導が多すぎる」こと,かといって自分たちで問題を解決しようと動くかというと,そうでもないこと,「日本人の宗教観,国家観とも密接に関係している」が,「日本人には自らを社会の一員だとする意識」はあっても,「社会は自ら創造するものであり、自ら支えていかねばならないという市民意識がとても希薄」であることは,確かなことです。

 そういう日本人の問題点を改善しようとして,改正したのが教育基本法学校教育法であるわけです(やはり官主導?)。

 新しい学習指導要領が出されましたが,文科省には「教える例を教えて」という問い合わせが多いようです。

 こういう教師たちの姿勢が問題であることは言うまでもないのですが,教師も公務員の側であることを考えると,公務員サイドでもっと情報の共有化や原則の理解を深めてもよいのではないかと,普通の人なら思うでしょう。

 確かにそうですが,「学校社会を自ら創造する」「学校は学校の教師が中心になって支える」「地域の学校として人々の信頼を得られるような教育空間とする」などという強い意思が見られることが,結果が出る条件なのに,何でも「教えてもらおう」という態度で「上」を見てしまう・・・・。

 今,官の方は「ばらまき」をやめ,「やる気とアイデアがある個人や団体」を支援するという大きな方向性を築いています。これを「差別的」と批判する人もいるようですが,差別化しないと結果としてはバラマキになってしまい,すぐに財源はなくなります。

 「金をくれ」「人をくれ」「アイデアをくれ」といっている連中に,教育の創造は果たせないでしょう。地方の自立などとは程遠い,日本社会の現状の縮図が学校社会にあるのかもしれません。

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昭和の家庭史トリビア?【第6問】 
 昭和2年(1927年)の話です。この年は,年末ですが日本発の地下鉄が開通しました(上野・浅草間)。また,大正天皇崩御で,元日に配達される年賀状の数が激減しました。(前年の3595万2246通から282万638通へ)
 さて,問題です。この年に流行した,フミナイン・玄華・ペトロールハーン液といえば,何の薬?
 ① 水虫薬
 ② 下痢止め
 ③ 毛生え薬

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 【第5問の解答
 ① 銀座・松屋からだそうです。

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歴史資料に基づく勘違いの法則 ~写真資料の落とし穴~

 普通選挙法が成立した大正時代は明るく,続く昭和時代は暗く描くのが,「普通」の教科書です。
 
 しかし,短い大正時代にも戦後恐慌震災恐慌と決して明るくない事態は起こっており(治安維持法の制定も同じ),確かに金融恐慌から世界大恐慌後昭和恐慌農業恐慌と経済の混乱は続いていたわけですが,「昭和初期」は決して「暗黒」の時代ではなかったことが,詳しい年表などを調べるとわかってきます。

 東京のような都市と農村では大きな格差があるため,都市の「明るい」イメージだけで時代像をとらえることももちろん誤りなのですが,日本人の極端に偏ったイメージを持ちやすい癖をなくすためには,固定観念から自由になる方策を用意しておく必要があると考えています。

 もちろん,「暗い」「明るい」以外の時代のイメージも大切です。

 私が年表を読んで以外に思ったのは,

 「関東地方では,大正時代まで板張りに座って料理を作っていたが,昭和初期から立って作る立式台所が普及した」ということ。(関西以西では以前から土間床に立って作る方式)

 「一般家庭にガラス戸が流行した」こと。

 「肉屋と魚屋に,冷蔵庫を備えることなどを義務づけた」のが警視庁だったこと。

 「1926年に,文部省がソフトボールを小・中学校の体育教科に採用」したこと。

 どこかで読んだ記憶もありますが,「人見絹枝,スウェーデンで開かれた第2回世界女子陸上競技大会に単身で参加し,走り幅跳びに5m50cmの世界新記録で優勝」=「日本女子選手の国際大会初優勝」があったこと。

 消えていく習慣などもありますが,このころが始まりだったこともたくさんあるようです。 

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昭和の家庭史トリビア?【第5問】 
 昭和元年(1926年)の話です。(5月ですので今回も大正15年です)
 別れ話に悲観した青年が飛降り自殺を図りました。その第1号?だったようです。
 どこから飛降りたのでしょう?
 ① デパート
 ② アパート
 ③ 日本橋

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 【第4問の解答
 ② 男性は洋装797人・和装349人,女性は洋装22人・和装494人だったそうです。洋装の女性はたいへん目立っていたのでしょう。だから写真がたくさん撮られているのですが,そういう写真ばかりを見ていると,当時は洋装の女性が多かったのだと勘違いしてしまいます。

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小中一貫・中高一貫の学習面の「正しい」かたちとは?

 学習における「小中一貫」ということを考えると,もしかしたら最も「一貫性」があるのは,「中学受験の塾」→「私立中学校・高校」というラインなのかもしれません。

 私立中・高の学習は,中学受験の過程で学んだ内容を財産として早い進度で進むことが可能です。

 いつも公立高校の入試問題が「中学受験レベル」であることが話題になりますが,公立中学校に通っている=高校受験を経験する子どもの多くが「中学受験」を経験していないことを考えると,別に「中学受験レベル」でも(出題して全員が正解してしまうというのであれば問題でしょうが),学習指導要領に準拠しており,正答率が特段に高くなければ入学選抜の問題としては成立することになります。

 公立高校の入試問題は,それが義務教育段階ではない学校への選抜試験であるとはいっても,学校の授業さえしっかり理解していれば対応できる問題であり,学校以外で特別な指導を受ける必要があるわけではありません。

 都立高校で進学に力を入れさせようとすると,塾に通うのが常識という空気を作れば別の話ですが,学校で受験学力に対応させようとすると,どうしても「宿題」「宿題」「宿題」という「詰め込み」方式に偏らざるを得なくなっていくでしょう。
 中高一貫校でも同じことで,結局「ゆとりのない6年間」が生まれることになるとすれば,設立の趣旨と全く異なる結果になってしまいます。

 ただ,行政側の建前よりも,生徒や保護者の本意を優先させるということなら,「適法」より民意に「適応」する道を歩まざるを得ないのでしょうね。
 「適正」かどうかはわかりませんが。

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昭和の家庭史トリビア?【第4問】 
 昭和元年(1926年)の話です。(なお,ここまでの問題の題材となっているのは,正確には大正15年のものです)
 東京・銀座を歩く人の服装を資生堂が調べました。12月2日の午後1時30分から1時間かけての調査です。
 どんな結果だったでしょうか。
 ① 男性は和装が洋装より多く,女性は洋装が和装より多かった
 ② 男性は洋装が和装より多く,女性は和装が洋装より多かった
 ③ 男性,女性とも,洋装が和装より多かった。
 ④ 男性,女性とも,和装が洋装より多かった。

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 【第3問の解答
 ① ネズミ でした。

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攻撃による自分の問題のカモフラージュ

 競争では必ずしも常に「敗者」が生まれるわけでもなく,常に「弱者」が不利になるわけでもありません。

 たとえばただ金銭的な面だけを尺度にするなら,共産主義にならなければ「多い少ない」「多い少ないを気にする」ことは避けられません。しかし,質的な面で,全体として向上していくことが,競争のメリットです。

 「弱者にやさしい」という「売り」で競われれば,「弱者」にとっては有利になります。

 教育ではあまり弱者だの負け組だのいう言葉を使うことはありませんが,基本的にWin-Loseの関係ではなく,Win-Winの関係になることを目指しています。

 競争=悪という原理・原則絶対主義論者にとってみれば,白でなければ黒しかないわけで,そういう思考の視野狭窄状態では,弱者の本当の救済はかなえられることはないでしょう。

 公立学校の教育課程の基本は,「能力の高い生徒のみに力を付けさせる」わけではなく,全員に一定水準の能力を付けさせることにあり,これは「弱者」がどうのこうの言いたい人にとってみれば,「弱者」を出さない,あるいは「弱者」に手厚い教育が行われる,そういう原則であることの根拠に使えるわけです。それが特色だと言っている学校がその約束を果たしていないのならば,いくらでも学校に改善を要望をすることができるのです。

 それがなぜか,組合活動をしている教師との親和性が絶対視されてしまうと,たとえば「役所が労働者をいじめている」という思考パターンで,攻撃の矛先を見当違いの方向にもっていってしまうことが起きているのです。

 「現場主義」というお題目で活動している人間たちが,一番「現場主義」になっていない。

 「自分主義」になってしまっている。

 憲法でも,自分の都合のよい条文ばかりを信奉して,「人々のため」に公務員が果たさなければいけないこと(そもそも憲法はだれが何のために制定しているのかがわかっておらず)の優先順位を下げてしまう。

 そういう主義では教育に希望が見えるようになるわけがありません。

 「自分だけの身を守るため」に批判を他人に投げかけるのではなく,「自分たち自身を厳しく律しようとする」態度が「現場」から見えてこない限り,教育への信頼は戻ってこないでしょう。

 攻撃を受けたくない人が最も攻撃をしかけたくてうずうずしている,そして攻撃を続けることで自分たちの問題をカモフラージュする,そういうことが続いています。
 政治家も同じようですが。

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昭和の家庭史トリビア?【第3問】 
 昭和元年(1926年)の話です。
 東京のあるデパートが,ある動物を1匹5銭で買い上げるという新聞広告を出しました。ある動物とは?
 ① ネズミ
 ② ネコ
 ③ イヌ
 
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 【第2問の解答
 ① 36円 でした。

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1を聞いて10の曲解をする人たちと「いじめ」の構造

 競争原理に反対,という人の中には,さまざまなタイプの人がいるでしょう。

 競争に関する記事を書くと,「競争でしか教育を語れない」などという的外れな疑問を抱いてしまう人。

 世の中には,あえてそこに触れないように気をつけながら・・・それは,「全体主義的」な人間たちからの批判を避けようとするためですが・・・教育を語ろうとする「清純派」がいるかもしれませんが・・・・。

 そういうタイプの人は,結局,自分(の仕事)に幻滅して仕事が手に付かなくなることもあるのでしょう。

 日本人には,1から10を決めてしまうタイプの人が多く,それが原因で気が付かないうちに「全体主義的」な行動を起こし出してしまうのです。
 いじめが集団化してその被害が深刻になる原因の一つがこれでもあります。

 ある主張を耳にするだけで,一足飛びにその指導の成果にまで思考がトリップ(スリップ?)してしまう人。

 過去に出会った人間と似た主張をする人をつかまえて,全く同じだと誤解してしまう人。

 困った人たちです。

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昭和の家庭史トリビア?【第2問】 
 昭和元年(1926年)の話です。
 郵便貯金をしている人の数が世界一になりました。日本人一人当たりの預金高は,アメリカの645円に対し,いくらだったでしょうか?
 ① 36円
 ② 63円
 ③ 365円
 
 なお,当時の東京の物価は,天丼が60銭,散髪代が47~50銭でした。
 また,「ハリウッドから日本女優を探しに来る」という記事もあります。月給は何と5000円。
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 【第1問の解答
 ③ 禁酒村 でした。

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「適法」と「適正」の間 (昭和の家庭史トリビア?問題スタート)

 今日は,校内で別の教科の会合が終わった後,少し気になる会話を耳にしてしまいました。

 雑談は教員免許状更新に関してのことで,

 「うち(私立)では更新しない人もたくさん出てくるだろう・・・

という一言。

 まさか,もともと教員免許をもっていない人を雇っているということはないでしょうが,あるいは「ペーパードライバー」よりもはるかにあてにならない「ペーパー教員」よりも,無免許でも力がある人の方を雇うということが今後あるのでしょうか・・・?

 「適法」でない方が「適正」である・・・そんなことにならないといいですね。

 「この程度で更新できるのなら,する必要はないのでは?」

という声が(あるいは講習の実施者の側から)聞かれ出すかもしれませんが,制度として決まったばかりのことが簡単に「なしにしよう」ということにはならず・・・。

 新聞の取材もぼちぼち始まっているようですが,どのような記事が紹介されるでしょうか・・・?

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 ところで,歴史の学習の中で,教科書だけの世界から離れて,肌で感じられる社会像を描こうとする活動として,題材を「昭和・平成家庭史年表」(河出書房新社)から選び,3択問題を生徒につくってもらっています。
 年表では「衣・食・住」「家計・健康・教育」「文化・レジャー」「社会・交通・一般」というジャンルに分かれていますが,ここではそれにこだわらず,その「トリビア度」を評価していただこうかと思います。
 解答は一つ後の記事の最後でご紹介します。

第1問】 昭和元年(1926年)の話です。
 石川県の河合谷村で,我が国初となる「○○村」宣言が出されました。
 どんな村になったのでしょうか?
 ① 禁煙村
 ② 禁ばくち村
 ③ 禁酒村
 
 なお,後にこれによって蓄えられたお金で,村に小学校が建設されたそうです。(昭和6年)

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打率は下がるが安打数は減らない ふり返り366日【08/5/21】

 競争原理に反対,という人の中には,さまざまなタイプの人がいるでしょう。

 まず,競争に伴う「努力が嫌い」なタイプ。

 そして,競争の結果,「よくない結果しか出せないことを嫌がる」タイプ。

 単純に,「人と比べられることが嫌い」なタイプ。

 努力をしたがらない人間は論外として,競争の「過程」を重視しない,結果第一主義である人間が,競争原理に反対するのは,ある意味では道理にかなっており,自分がどのような人間であるかを証明してくれているわけで,納得できます。

 野球のたとえで言うと,毎日1000回素振りをしていた人間と,家では全く素振りをしていない人間が,同じように試合でノーヒットに終わったとき,結果から見たら「同じ」なのでしょうが,「過程」を知っている立場でその人間を見る目が「同じ」であるわけがありませんし,「次のチャンスでの活躍の期待」が「同じ」であるわけがありません。

 競争原理が「同僚性を失わせる」というのは,ある意味では「適正」な結果を招きます。

 つまり,何の努力も工夫もせず,ただただ文句を言っているばかりの教師がそこにいた場合,優先すべきことは何か,ということに気付かせてくれる効果です。「同僚性」が「怠惰容認性」とイコールならば,即刻奪うべき性質なのです。

 怠惰でない教師が互いに支え合い,助け合う態度をとることは,学校の教育効果を高めるにはなくてはならない行為ですが,怠惰な教師たちが互いにかばい合い,隠し合う態度をとることは,マイナスでしかありません。

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08/5/21 同僚性欠如の問題の背景は?

 私は、耳障りのいい言葉、一見誰も疑わないような「美しい言葉」には思考停止に陥らず、その裏にあるものを必ず疑ってかかる習慣があるので、「すべては子どものため」という言葉にもひっかかってしまうのです。
 「すべては子どものために」という発想は、おそらく小学校の教師が、最も陥りやすいわがままに結びつく恐れがあると考えています。
 「子どもが望んでいるんだから、ぜひ○○を実現させてくれ」と訴える教師がいます。他クラス、他学年、学校全体のルールも視野に入らず、ひたすら「子どものために!」と訴える教師(中学校にもいました)。
 こういうときこそ、「忘己利他」の大原則を思い起こしてほしいのです。
 小学校教師の同僚性認識が欠如している背景には、他の教師、他のクラス、他の学年、管理職という「他者」に思いをかけることなく、ただひたすら「忘他利私(子)」になりやすい傾向が反映しているのではないでしょうか。
 「他の教師の努力を認める」「他の教師のいいところを盗む」「他の教師と協力してよりよいものをつくりあげる」・・・そして、自他の評価を高め合う学校づくりが実現すれば、同僚性欠如の問題はクリアできると思います。
 教師は比較されることにひるまず、視野をより広く持ち、全体のレベルアップに努めること・・・イチロー風にいうと、打率より安打数にこだわる(打率は下がることがあるが安打数は減ることがない)評価観をもてれば、競争原理も悪の面ばかりでないことに気付かされるはずです。

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クレーマーの隠された欲求

[苦情クレーム博覧会] ブログ村キーワード

 学校側が「要望」ではなく迷惑な「苦情」とか「クレーム」として処理する内容の中には,相手側にとっての「本当の相手」が,実は現在の学校ではなく,過去のできごとに由来する「過去の相手」である場合があります。

 たとえば,小学校時代の担任に言いたくても言えなかったことを,「言いやすい」と判断した中学校の担任に言ってしまう例。

 ブログなどでも,過去に言えなかった胸のうちを,関連する話題があがったときに,(ネット上では言いたい放題が可能ですから)「ここぞ」とばかりに攻撃を加えてくる例があります。

 このような「不満発散」の受け手は,それを100%自分向けのものと考える必要はないのですが,「まじめ」な人ほど心にダメージを受ける場合があるので注意が必要です。

 この手の「不満発散者」は,相手を「不快な気持ち」にさせることで,「自分と同じ目に合わせた」という満足感を得ることができます。

 このブログ内でもかつては公開していましたが,こういう「不満発散者」は,「自分と同じ不快な気にさせる」ことができていないと判断すると,どんどん書き込む内容がエスカレートしてきて,「まもとな人間」であることを捨ててしまうところまでいってしまうという難点があるので,リアルの世界では,相手を「満足」させるための「演技」が必要になる場面もあります。

 クレーマーが「過去の復讐」のために行っているクレームについては,大人の方法としては,「慰め」としての受け止め方が妥当なのでしょう。
 それで図に乗るというよりは,過去の清算がすんでそれからはまともな生活を歩んでくれるようになるかもしれないからです。

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教師が適材であるための6条件 その6

 失敗したときは鏡を見てものを言い=反省をし,成功したときは窓の外を見てものを言う=祝福する

 「鏡と窓」という言い回しは,日本では一般的ではないかもしれませんが,この反対の状態を想像したときの「嫌悪感」を実感できる人なら,二度と忘れないフレーズになるでしょう。

 以前,人事考課制度の導入に対し,「同僚性が失われる」という理由で反対する人への説得方法として,「他の教師たちがより動きやすくするように条件整備に心がける」などの「人を動かして学校の成果をよりよいものとする」という発想があれば,「自分だけの成績を上げさせるための評価にはならない」ことに気付いてもらえる,という話を書いたことがありました。

 要するに,子どもの学力にしろ,教師集団の動きにしろ,「」の外の人をよりよくする,というイメージで働いていくこと,それがうまくいかないときに,「」を見て・・・つまり自分自身の行動の問題点に気付いて・・・改善が図れる人間になる,ということが求められているわけです。

 「窓と鏡」の原理に立って教育ができる人材が求められています。

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教師が適材であるための6条件 その5

 教師の場合は,「強烈」と言われるほどのエネルギーを常に発散されていると,まわりは「うっとうしい」「うるさい」と思われかねませんが,逆に,「授業」に対して情熱的でない教師も困りものです。

 教師に適した人材は?という問いには,「適所」との関係で左右される答えがあるかもしれませんが,最低限の条件は,「授業」に対して,「子どもの学力を向上させること」に対して,強い情熱をもっていることだと思われます。

 仕事に対して情熱を見せるということは,どの職業人にも共通することでしょう。

 学校の教師と会社の人材との大きな違いは,会社の人材は「会社」に対しても情熱を見せますが,学校の教師は「学校」に対して情熱を見せるとは限らないという点にあります。

 その「教師」の「個人的な活躍の場」として謳歌されているという例が過去にもたくさんありました。

 「情熱」という点についていうと,6条件のうちのその1からその3までとの関連も重要な勘所になりそうです。

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教師が適材であるための6条件 その4

 教師には,あまり「大言壮語」タイプの人はいないのですが,「有言実行」型の教師も以外と少ないものです。

 授業の指導案には,必ず「本時の目標」が設定されているのですが,実際の授業を見てみると,目標を実現するために必要な指導が不十分だったり,そもそも設定した目標とは別のことに力を入れているようにみえてしまったりする授業が多く見られます。

 自己申告の導入によって,管理職は各教師が目標にしていることを知りつつ指導することができるのですが,まず「約束したことの難易度」に個人差があり,「約束したことの達成度」にも個人差があるため,学校全体としての「有言実行度」を測定するのはなかなか難しいというか意味のあることにすること自体が難しそうなところがあります。

 「適材」かどうかを判断する指標としては,「有言実行」もいいのですが,たとえば異動して入ってきた教師などは,前任者の決定とか方針をとりあえずはくずさない態度というのがあってもいいでしょうか。
 教員の異動があると,子どもや保護者から見たときの「指導の連続性」に疑問が生まれてしまうケースもあるので,前任者が「やる」と言ったことは必ずやるなどの,「約束を守る人」と評価できるような人材がふさわしいのだろうと考えられます。

 これは,個人からの約束というよりは,組織=学校としての約束というように捉える態度が大切だということでもあるでしょう。

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教師が適材であるための6条件 その3

 教育ブログの中には,「教育というのは大変な仕事だから・・・」「こんなに大変な仕事なのにバッシングを受けて・・・」のようなニュアンスの記事が散見されるものがありました。

 このような,「仕事だから・・・」という発想の人材は,企業では「適材」とは言わないようです。

 新聞社にとっては,「仕事だから記事を書く」と考える記者ではなく,「事実を報道するという責任を自覚している」記者が適材となります。

 世の中には,そのように「仕事」ではなくて「責任」を与えられていると自覚しているプロがたくさんいるのですが,教育界にはどうでしょうか。

 「親に責任が・・・」とか,「子ども本人に責任が・・・」というのが得意な教師がたくさんいませんか?

 「あなたにとっての責任とは何ですか?

 教員試験の面接では必ず聞いてほしい質問の一つです。

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体罰の議論から逃げないことが大切

文月さんコメントありがとうございます。
 以下の内容,ご紹介の記事に書き込ませていただきました。 
 
 

学校のなかには,どんなときでも体罰を加えるというわけではないが,ある限度を超えた問題を子どもが犯し,反省の色がないとき,他人のせいにしているときなど,「ここぞ」というときに体罰を使って怖れられているような教師がいます。
 同僚の教師たちはこのような教師の存在をありがたがる・・・というのは「体罰」が抑止力になって,子どもが問題行動を起こさない・・・そういう図式になっているところがまだあるのではないかと思います。
 このような学校では「体罰」を推奨しているわけではないのですが,「」のような「最終兵器」として「体罰」を温存しているのです。
 体罰撲滅のみちは,単純にはいきません。
 体罰を絶対にしない・・・というのは大前提なのですが,学校はそう言いきれるための戦略を練る必要があります。
 内部告発制度,連帯責任制度・・・のような後ろ向きの政策ではなく・・・です。

 
 法令違反となり,懲戒をうけることも覚悟のうえで,なぜ教師は体罰に訴えるのか。

 それは,それがどのように支持されているのか。なぜ容認されるのか。

 その仕組みを理解しなければいけないのですが,この問題は「いじめ」と似たところがあると思われます。

 「やってはいけない」ことは頭では分かっているが,「やってしまう」。

 様々な人が様々な考えを発表すること,そして意見交換をすること,あるときは厳しい批判合戦になったとしても,決して逃げず,多少横道にそれたとしても,それたことを理由に逃げない・・・そんな場が学校・地域・家庭で確保されなければなりません。

 そういう場がなければ始まらない話であり,そういう場から逃げてしまう人間をどう食い止めるのか,これも大切な戦略になります。

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教師が適材であるための6条件 その2

 「適材」であると評価される人は,上司などから細かく指導されたり,管理されたりしない自律性をもっているのが特徴でしょう。

 教師になぜ上からの管理が必要になっているのかというと,一つには「指導に力を入れる」ことのマイナス面の一つに「偏り」が生じるという問題があるからです。

 「追究の鬼」とか言われて有名だった教師は,この「偏り」が激しいことでも知られていたそうです。

 「お気に入り」のポストに入れなかった子どもは「不幸」を味わわされて進学していきました。

 本当の「適材」は,子どもへの指導の「偏り」について鋭い目をもち,自分の仕事量の配分の「最適化」を図る能力がある人をさすのでしょうが,やはり「公平さ」の自己判断の「公正さ」は外からの評価の目が入らないとなかなか難しいものでしょう。

 「適材」にあふれている学校は,上からの動機付けが全くの不要で,指示を待たずに最大限の努力を自主的に行うことができます。
 今は,「褒められ待ち」の態度が子どもだけでなく,大人にも増えていると聞きます。

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