意味や目的を「本気」で感じているか

 人間は,意味や目的を感じられないことをするのが耐えられない存在です。

 では,意味や目的を感じさせるためにはどうしたらいいのか。

 「やることになっている」から「やる」のではなく,「やるべきだと思う」から「やる」という姿勢にさせるためには,「意味や目的」を「理解」させなければなりません。

 「使命感」が無条件に存在するような環境では,あまり自主的にそう思える内容ではないでしょうが。

 「使命感」が存在しないかもしれないからこそ,「理解」に向けた行動に真剣になれるのかも。

「100ページの1文」(09/09/28)より

 生徒に向って繰り返しのべた言葉の中でも、「第一が宗教的道徳的規律、第二に紳士的行動、第三が勉学」とのべ、これがラグビー学校の三大目的だと強調した。

 19世紀イギリスのパブリック・スクールについて記述されている部分で、アーノルド校長の言葉として紹介されています。

 日本の中学校でも、A学院中などは「礼拝の時間」を最も重視しているそうで、「勉強が一番」と言わなくてよい学校の強さを物語っています。

 外山滋比古の本は、頭に「刺激」を多く受けるタイプの本で、読んでいるうちに「考えごと」が多くなり、ページが先に進まなくなる代表的な著者の一人です。

 書名から手にとって、期待はずれに終わるビジネスマンも多いかもしれません。この本は、日本の教師たちが手にとり、「通読できずに終わる」のが理想のかたちであるような気がしています。

 目次より

 第一章 フィナーレの思想
     
   ライフワークの花 
   フィナーレの思想
 
 第二章 知的生活考

   再考知的生活
   分析から創造
   発見について
   忘れる

 第三章 島国考
 
   パブリック・スクール
   コンサヴァティヴ
   大西洋の両岸
   島国考

 第四章 教育とことば

   教育の男性化
   面食い文化
   市民的価値観
   ことばの引力
   ことばと心

 
ライフワークの思想

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感謝できる人は伸びていく

 「感謝できる人は強い人である」

 卒業式の子どもの姿を見れば,将来の「伸びしろ」が「可能性」が見えてきます。

 教師は子どもに何を感謝するのでしょうか?

「100ページの1文」(09/09/22)より

 さんざん子どもが暴れまくって,予行練習ができなくなり,卒業式を行うかどうかを職員会議で真剣に討議した学校もある
 
 著者は,全校生徒が出席する卒業式を学校の特色として紹介しています。

 一方で,6年生だけの卒業式の実施も危ぶまれるという小学校の事例を挙げていますが,なぜこのような「格差」が生まれてしまうのか・・・

 「教師の指導力の差だろう」というのが当たり前の答えであるわけですが,学校自体はそれをなかなか認めません。

 では,6年生に毎年同じ「力のある」教師を当てるようなことを繰り返している学校の真似をすればよいのでしょうか。

 これでは,教師が育たないとは当たり前として,「無事に子どもが卒業できればよい」というメッセージが子どもに直撃していることに気付かない関係者が多いのです。

 「力のある人に任せればよい」という発想は,最も人の成長を阻害するものです。

 卒業式の話は,簡単な問題でしょう。著者は「低学年のほうがしっかりしている面もある」と書いていますが,それは「そういう面」の話であって,6年生がひどい態度を卒業式でしてしまうかどうかは,低学年に向ける目を同じように6年生に向ければすむ話でしょう。

 「失敗」を恐がっているのは,6年生ではなく,教師たちであることがよく分かります。

 
野中信行のブログ教師塾

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教師は「新しい課題」を発見し,追究する能力を持っているか?

 与えられた課題に対して,とても効率的・短時間で適切に「解答」を導くことが,「試験による選抜」を勝ち抜く力であると言えます。

 こういうことができる人だからこそ,「自分で課題を見つけて,それを追究し,解決する」ことができるのか,それともそれができにくくなるのか。

 どっちを優先すべきかという点で,今,学校ではなく予備校の方に軍配が上がっているようですが・・・。

「100ページの1文」(09/09/13)より

 つまりこれまでの「排斥」という差異性が「強烈な事件」を機に「混乱」という形で揺さぶられている。

 受験勉強で「本物の勉強力」がつく・・・夢のような話かもしれませんが,それを教えることに特化して食べている人たちのうち,自分の学び方の面白さに絶対の自信がある教師は,教える力も優れている・・・そういうことがよく分かる本です。

 公立学校の教師のうち,「この人,本当にこの教科の『学習』を心の底から楽しんでいるのだろうか」と疑問を持たせるような人はいないでしょうか。

 「やる気のある」生徒と「やる気のある」教師の組み合わせが大きな教育効果を発揮することは言うまでもありません。

 予備校の教師に公立学校の教師が教えを請う・・・そういう時代から早く脱却してほしいものです。

 
駿台式!本当の勉強力

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一瞬の迷惑が一生分の貢献に

 「他人に迷惑をかけてはいけない」という発想ではなく,「人は他人に迷惑をかけないで生きていける存在ではない」という発想に立ったとき,どんな「行動」「思考」が促せるでしょうか。

 「一瞬の迷惑が一生の,あるいは歴史的な貢献につながっていく」ようなことは想像できるでしょうか。

「100ページの1文」(09/09/08)より

 太子が亡くなると,太子の仏教の先生だった高句麗の高僧,慧慈は,太子のことを,「日本国に聖人あり。天からすばらしい資質をさずかったお方である。奥深い聖なる徳を持ってお生まれになり,人民の苦しみを救われた,まことの大聖であった」と僧たちに語りました。

 もし,あなたがこれまでに読んだことがある伝記や歴史の本から,尊敬できる人を10人あげてください。そして,それぞれの人物から学ぶことができた「価値」について,簡単に説明してください。

 ・・・そんな入試問題が出たらどのように対応すればよいのでしょうか。
 
 もしも道徳が教科化されたとしたら,そんな入試問題が可能になってきます。

 ただし,本人が実感としてもっているものではなく,「想定問答」「模範解答の暗記」などになってしまっていたら,意味がないとも言えます。

 一般には反対が多い道徳の「教科化」ですが,逆に,子どもに聞いてみたらどんなことを答えるのでしょう?

 道徳の時間であなたが学んだ「価値」のうちで,特に印象に残っているものを10個あげ,その理由を説明しなさい・・・。

 
道徳の教科書

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返事・挨拶・歌

 しばらく前に,4年に1度,開かれている平成○年卒業生の学年会に参加しました。

 100人を超える出席者がいつもキープできていることはすごいことでしょう。

 前回,教員は私一人でしたが,今回は幹事ががんばって当時の学年主任をはじめ,担任の先生を5人集めることに成功しました。

 いつも話題になるのは,大人になっても大きな声で「返事」をしてしまうくせの話。

 高校入学時にはちょっと浮いてしまったようですが,それで名前を覚えてもらえたり,興味をもってくれて友達が増えたりした効果があったり。

 挨拶は中学のときはちょっと機械的な部分もありましたが,今でも自然な挨拶ができるのが卒業生の魅力です。

 そして,歌。

 私は以前から述べているように,中学校には優秀な音楽の教師が絶対に必要です。

 学年に所属していてくれればなおのこと。

 間違いなくよい学年になります。

 4年たつごとに,元担任の話を真剣に聞くようになってくれているようです・・・とまだ子ども扱い・・・?

 「意味」が分かる歳に成長すると,「哀れな大人」の姿をようやく相対化して理解できるようになっているようです。

 「分からせること」に執着する教育で成功したつもりになっている人に,参加してみてもらいたい楽しい会です。

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古くて新しい「大人」と「子ども」の位置関係

 子どものような「大人」と,「大人」のような子どもが増えていることは,「年齢」や「経験」が価値を持たない時代になったということでしょうか・・・?

 「大人」が「苦しい未来」の量が少ない「恵まれた位置」で,「子ども」はその逆に「苦しい未来」の量が多い「損する位置」に立ち続ける存在だとしたら,暗い事件はどんどん起こり続けるのでしょう・・・。

「100ページの1文」(09/09/07)より

 たとえば,子どもの自己決定権ということが議論の対象になるということも,大人と子どもの境界線が揺らいできていることを示すものである。

 大人とは何か?・・・ひきこもりや就職しない大学生たちは,果たして「大人」なのか?

 学校を出て会社に就職し,家を出る・・・このような分かりやすい「自立」が,「めずらしこと」になってしまうと,確かに「大人」と「子ども」の区別は難しくなってしまいます。

 電車やバスの「大人料金」に不満を持っている中高生はそう多くはないかもしれませんが,何かをきっけかに「境界問題」が話題になるとおもしろうそうですね。

 高校を出て社会人になっている人が,20歳になるまでお酒を飲めないのはおかしいとか。

 昔からいろいろ言われてきている(実際は建前とは無関係の実態というものがある)ことが多いのをまとめてみたらどうなるでしょう。

シティズンシップの教育思想

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「みんな」が指すのは「だれ」か?

 みんなが得すれば,自分も得する・・・そういう社会をつくるには,どうしたらいいのでしょうか。

 「みんな」が本当の「みんな」なのか,「国民」なのか,「住民」なのか・・・・。

 ゼロサムではなく,プラスサムの発想が社会に行き渡るためには・・・?

「100ページの1文」(09/09/04)より

宗教や国家の名において人間が殺し合うようなことがあってはいけないのです。

 この本の最終章は,「自ら考え,発言・行動を起こそう」です。

 「自ら考える」ために必要なスキルとして,

 論理的に考えること
  
 コミュニケーションの素養
 
 調査する能力

 法律を読む力
 
 社会調査に対する感覚を磨くこと

 メディアの視点

 権力者既得権保持者の視点
 
 公益性を増進する発想

 などを学びます。

 中学校でも,もう少し時数があれば,こんな学習のデザインを考えることができるようになるかもしれませんが・・・。

 
シチズン・リテラシー

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Good Luck・・・「憑く」のは何?

 「つきがある」という言い方がありますが,何かが「憑いている」ことで「幸運」であるというのなら,「何が憑くことでどんな幸運があるか」・・・ということで,自分の中でいくつの「神」がつくれるでしょうか。

 また,何人の「神」が必要でしょうか。

 「だれにでも憑くものではない」というのなら,どういう人に「憑く」のでしょうか・・・。

 ・・・・こういう発想は,一神教の人はしないのでしょうか?

「100ページの1文」(09/09/03)より

 しかし,硬貨に「われら神を信ず」と刻んだり,「神がわれわれに英知を与え,アメリカ合衆国を見守って下さるように」と演説を結んだりすることは,フランスではほとんど考えられない。

 我々を守ることもあれば,祟ることもある「」がたくさんいる日本では,あまりも自然な対象であり,・・・というより自然の存在であり,一神教の神とは比べようのないものです。

 一神教の人にとっての悲劇は,「神に見放されること」なのでしょうが,そういう意識を大勢が持つような事態になるのは想像もしたくないことです。

 「復活」を信じ抜いて,勝者になっておごらず,敗者になってもあきらめない信徒であってほしいと希望します。

 
シティズンシップの教育学

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親の背中と本棚で育つ子ども?

 子どもに勉強させようと,熱心になる親が増えています。

 一番いい方法は,親が熱心に勉強することである。

 ・・・では,どんな「勉強」が親に向いているのでしょうか・・・?

 それは「子育て」?

「100ページの1文」(09/08/27)より


 一問一答式の暗記カードを作ろうと思っても,理科の場合は文字だけでなく,グラフや図で説明する問題も多いので,小さな単語帳では到底入りきりません。

 なつかしい響き・・・「京大式カード」ですか・・・。

 大人であれば,20年以上も前の本ですが,やはりお薦めはこれ↓ですね・・・。


知的生産の技術

 今度の本は,「苦手科目の偏差値が15UPする驚異の学習法!」だそうです。「苦手」だから「15UP」が可能なのでしょうか?
 ・・・平均点の子どもはこれでトップに上がれるわけですね・・・。

 よく聞くタイプの勉強法が多いですが,実際,なかなかやりきれないのも実情です。

 カード式のまとめも,今は本をミシン目で切り取ってカードにするタイプの本も出版されているように,親切な「大人」たちは「理想」をカタチにしてしまいます。

 ただ,実際に力がつくのは,そういう大人がつくってしまえるものを大人がつくって子どもに与えるのではなく,子どもが苦労してつくることによってです。

 残念ながら,大人には「時間がない」ために,子どもの一人でやりきる「やる気」があってかつできる「能力」のある子どもしか実現できません。こういう子どもの学力は,結局,「上がるべくして上がる」のであり,おそらく本のおかげではないでしょう。

 
図解最強家庭教師軍団の超文房具フル活用術

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小学校に回される管理職 ふり返り366日【08/7/31-2】/第105問

 公立学校の管理職のなり手が足りない・・・・。特に小学校です。

 中学校籍の管理職はまだ余っているので、どんどん小学校に回されてしまっているようです。

 教員や施設の管理のノウハウは全く同じなので、経営を苦もなくできるのは当たり前なのでしょうが、小学校で楽をするとなかなか中学校に戻る気力がなくなってしまうという問題も浮上してきそうです。

 小学校籍の教師というのは、「子どもとわいわい楽しくやっていたいから、たいしてうまみがなく、苦労ばかり増える管理職になる人がいないだろう」という言い方をよくするのですが、この発想自体がおそらく中学校籍の教師とのギャップを端的に物語っているものでしょう。

 中学校籍の教師で、「子どもとわいわい楽しく」やっているような人には、間違いなく管理職になる資質はありません。別の言い方をすると、管理職にでもなってもらわないと現場が迷惑している・・・そういうタイプの教師です。

 小学校籍でも、学級崩壊や保護者対応で本当に苦労している人もいるでしょうが、逃げ道が管理職になることであるはずもありません。

 小学校が崩れるのは、組織の問題というより、個々の教師の資質・能力の問題が原因です。ですから組織のリーダーになっても、根本的な問題は解決できません。優秀な教師を獲得できるかどうかが勝負です。副校長・教頭が「代理」で授業をするケースは全国でどのくらいあるのでしょう。

 中学校が崩れるのは、個々の教師の資質・能力の問題ももちろんありますが、組織力でカバーできるのが小学校との違いです。だから組織をコントロールするというやりがいがあるのです。

 小学校全科という仕組みを変えることが、教育の質的向上の第一歩になるかもしれません。
 ある教科の研究に熱心になって、他がおろそかになるという話は有名校でも聞かれる話です。

08/7/31 学校経営者としての5つの悩み  雑誌プレジデントの記事から、経営者が抱いている5つの悩みを学校の教育管理職にあてはめてみると、どういうことが言えるか、考えてみました。 悩み1:管理職としての能力に対する不安  「学校経営についての自分の判断は正しいのだろうか」  「学校経営について自信を失い、校内でも孤独感を募らせているが、その悩みを相談できる人がいない」 悩み2:組織運営に対する不安  「自分の(教育長の)経営理念が校内の教師たちに伝わらない」  「教師たちが主体的に動かない」 悩み3:教育の成果に関する不安  「指導に工夫を加えていっても、なかなか成果があがらない」 悩み4:人材育成に関する悩み  「主任級の人材がいない、育たない」  「異動では優秀な人材が流出し、課題がある教師が入ってくるおそれがある」 悩み5:自分自身の存在意義に対する不安  「この学校の教師たちにとって自分とは何か」  「自分はこの学校のために何ができているのか」

 問題解決は、「問い」からスタートするので、何の不安も抱いていない管理職というのは怪しいわけですが(しかし、特に校長がまとう鎧はかなり強固なものでしょう)、これらの解決のために、その当事者(管理職)以外の人たちにできることとは何でしょうか。
 雑誌記事では、「心の軍師」と呼ぶべき存在、エグゼクティブ・コーチが必要だと説いています。
 校長にとっての「心の軍師」たり得るのは、教育界ではだれでしょうか。
 行政には「指導室長」「教育課長」という教員系の中間管理職がおり、教育長をトップとする教育委員会と現場の校長のパイプ役となっていますが、この人たちは「心の軍師」にふさわしいエグゼクティブ・コーチングのノウハウをもっているでしょうか。
 これは現場の校長に聞くしかありませんが、次のようなことを校長にできる課長は、よほど胆力と実力のある人でないと難しいかもしれません。
 コーチングのポイントは、まずは校長に「自分のなりたい姿」を明確にイメージさせる。
 次に、自分の現状はどうであるかを徹底的に認知させる。
 そして、どのようにしたらギャップを埋められるのか、対話を通してしつこく追求する。
 校長自身の長所はよく分かっているはずなので、それを最大限に引き出せるように、本人に気付かせ、やる気にさせる
 操作主義の心根は捨てて、校長の成功と成長を心から願い、自分がもっている経験や技量を惜しみなく与える(が、おしつけない)。
 校長の人材育成能力、リーダーシップ、コーチング力も、これと同じことです。

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昭和の家庭史トリビア?【第105問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 12月31日、紅白歌合戦の前身となる番組が放送されます。この番組名とは?
 ① 紅白音楽試合
 ② 紅白音楽対戦
 ③ 紅白音楽の戦い

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 【第104問の解答
 ②の16人に1人でした。

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「暗記したもの勝ち」を終わらせるのはだれか?

 私の自宅の子ども部屋には,幅が2mくらいあるホワイトボードを壁に縦にして立てかけ,「学習ボード」としています。宿題・学習の一覧表や学校からの配布物をおく場所もあります。

「100ページの1文」(09/08/26)より

 透明ケースにヒモがついているだけのシンプルな作りなので,りっぱな“勉強グッズ”として応用できます。

 さすがにIDカードホルダーを暗記カード入れにしている子どもは見たことがありませんが,本のタイトルがタイトルですから著者もいろいろ考えたのでしょう。

 ビジネス書には,メモの書き方とか,ふせんの利用の仕方などの「役立つ仕事術」に類する本も多く見られますが,受験生向けの情報で1冊の本になるとは意外でした。

 こういう本に「偏差値が確実に10アップする驚異の勉強法!」というキャッチコピーは単なる「お決まり」でつけなければいけないことになっているのでしょうか・・・?
 
 しかし,偏差値60の人向けではない,と断言するわけにもいかないおもしろい工夫が紹介されています。中には,「これ,誰からも教わっていないけど私はやっていた」というのがあるかもしれません。

 私が読んだ印象では,基本的には「暗記もの」対策のための道具活用法です。

 
図解カリスマ家庭教師榎本勝仁の文房具フル活用術

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帝国海軍と陸軍による観点別評価の延命

 日本の学校教育における「評価」の改革については,やはり「黒船来航」が必要なのでしょうか。あるいは,「原爆」級のものか。

 観点別評価については,行政は帝国海軍,学校現場の一部は帝国陸軍の発想でまだ「終わり」が見えません。

「100ページの1文」(09/08/15)より

 「どこが悪いのか知らせようともしない」これまでの通知表を克服することがはっきりと打ち出され,家庭に対する説明責任を果たすために目標準拠評価を採用している。

 教育評価と言えば,相対評価絶対評価目標準拠評価),個人内評価自己評価・・・さまざまな評価が実践され,研究され,子どもたちや親に手渡されてきましたが,その研究をすればするほど,教育指導・教育実践の貧しさが際立ってくる,そういう教育の矛盾した面が露呈してしまうのが「教育評価」です。

 教育評価は,指導の改善のためだ,と明言している論者もいるようですが,とすれば柱は評価ではなく,指導です。

 1969年に「通信簿論争」というのがあったそうですが,それをやる前に,毎日の学習をどう見直していくべきかが議論されるべきでした。

 「見えない学力」「測れない学力」への挑戦が続いているようですが,それらはたいてい「見える学力」「測れる学力」が低い子どもたちへの配慮として行われているようなものです。

 評価ではなく励ましで,あるいは自己反省ですむものを,そしてもっと他に使うべき時間をあえてさいて,「評価」に力を入れることが,どんな意味があったのか,残念ながら「教育評価」の歴史には失敗への検証というのがありません。
 「教育評価」に歴史がある・・・と語るほど,その研究に意味があったのかどうか,それが本書を通して最も問われるべきときなのでしょう。

 
人物で綴る戦後教育評価の歴史

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自尊感情が育ちにくい子どもを育てる親・教師

 ある道徳の授業で,人を傷付けるマイナスの言葉をどんどん羅列するという指導がありましたが,醜い人間の姿を見るのは心苦しいものです。

 自尊感情を傷付ける言葉とは何か。

 そういう一覧表をつくるのもいいのでしょうが,人間,ついつい身に付けたばかりの新しい語彙・言い回しは使ってみたくなってしまうものです。

 そういう人間の「活用志向」を良い方向で生かすとしたら,「どういう言葉で自尊感情が高まるか」を追究すべきなのでしょう。

 自尊感情が高まる学校生活は,単に「自分は他より優れていること」を意識する場ではなく,「自分が人の役に立っている」「人を喜ばせている」「人に信頼されている」と感じる場面が多いものです。

 ただ,そういうことが感じにくい学校が増えていることは事実のようです。

 また,幼年期に基本的信頼感を育てられなかった子どもの指導も,特に難しいようです。

 最も簡単な自尊感情を高める方法に教師が走っていく結果,自尊感情が育ちにくい子どもを育てる親・教師が増えてしまいました。

「100ページの1文」(09/08/07)より

ところが一部の子どもが自分のQOLを非常に低く評価しています。

 新書版の本は,1ページの文字数が少なくて・・・。 

 QOL(Quality of Life)は,自尊感情尺度として著者が利用しているものです。

 日本の子どもは,世界的に見ても自尊感情が低い・・・そういう認識が親にない(認識が甘い)・・・そういうデータを説明している中での1文でした。

 自尊感情が高すぎる親と,低すぎる子どもの組み合わせが最も不幸だと思われますが,自尊感情が低い子どもの親自身の自尊感情が低いことも,課題になっているといいます。

 また,児童精神科医の立場としては,自尊感情の平均値が低すぎるために,治療を必要とする子どもが見つけにくくなっている・・・そんな課題もあるそうです。

 一つの側面にふりまわされるのはどうかとも思いますが,「自尊感情」というのは,教育現場でも軽く見られない要素かもしれません。

 
日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか

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活気のあふれる学校 ふり返り366日【08/7/31】/第104問

 自治体が「活気のあふれる学校づくり」というのを大きなスローガンに掲げたとき、学校はどのような取り組みを優先的に行っていくことになるのでしょうか。

 小学校はそもそも活気があふれていて当たり前なのかもしれませんが・・・・。

 子どもに活気がない・・・子どもらしくない・・・。そういう小学生も最近は少なくないのでは?

 子どもの「元気」「活気」の源はどこにあるのだろう・・・と思われるほど圧倒されている毎日を送る小学校教師には縁のない心配事かもしれません。

 一方、中学校ではそういう元気な姿が逆に家庭の問題を映す鏡になっている場合も多く、油断ができない姿です。

 では、小中学校に共通の問題はどこにあるかと言えば、別に高齢化が主原因だと言いたいわけではありませんが、教師の「活気」です。

 私の母が中学校を選ぼうとするとき、自分の主張の決め手にしたのは、「教師たちに活気がある学校へ通わせたい」というものでした(父の決め手は進学実績です。私の決め手は、授業料でした)。

 2対1で私と母が勝利して進路が開けたわけですが、単なる「活気」ではなく、学問に対する「気迫」に圧倒されることになりました。

 生活指導の気迫なら、普通の中学校でも決して負けていなかったことでしょう。

 ついでに言えば、「遊ぶ」のも真剣という中学校に入ったことも大きな衝撃でした。

 「学び合い」という言葉をキーワードに教育を考えている方の活動を見てみると、「話し合い」等、直接的な関わりを授業等の活動に求める傾向が強いようですが、言葉をかわし合うことのない「学び」があることを体験できたことは幸せでした。

 「学びの活気」が表面的なものに過ぎない学校から脱皮するには、まず教師の目を肥やすことが必要でしょう。

08/7/31 学校の活気はどこから感じられるか?  「学校の活気」はどのようなところから感じられるか。  廊下での挨拶、休み時間の生徒の行動、放課後の部活動・・・さまざまありますが、職員室における教師たちの姿についてはいかがでしょう。  研修会の講師やPTAの役員さんなど、外部の方が職員室に入ってきたとき、すぐ近くにいるのに(挨拶や要件を聞くために)席を立たない教師がいることに心当たりはないでしょうか。  「挨拶のときは、(相手が立っていたらこちらも)席を立つ」という常識が、学校ではあまり定着していないのではないか。そんな問題提起をしている教育ブログを見かけました。   腰を浮かす動作が全くないために、「あっ、そのままでけっこうです。お仕事中に、失礼いたしました」というコメントを言うきっかけ自体がない。実は私もそういう経験をして、いつも違和感を感じていました。  「いやいや、そんな常識は学校には必要ない。学校は私企業、サービス産業ではないのだから」という意見もあるのでしょうが、来校目的を知っているはずの教師たちが、座ったままでしかも無視?しているのは寂しい気持ちがあります。  「教室ではいつも立っているから、職員室というのは座って休むところ」という考え方の教師もいるかもしれません。  「教師はフットワークのよさが勝負」などという言われ方が認知されているとしたら、まず職員室に外部の人が入ってきたら、近くの教師は立って挨拶をする(知り合いだったら遠くても立つ)、という習慣がほしいものですが、いかがでしょうか。

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昭和の家庭史トリビア?【第104問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 『日米会話手帖』という本が大ベストセラーになりました。日本人の何人に1人が買った計算になる?
 ① 8人に1人 
 ② 16人に1人
 ③ 32人に1人

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 【第103問の解答
 ①の350万人でした。

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藤田晋の成長学・教師編36 学年集団の情報の管制官

 セオリー№36 ブログの伝播力の高さを活用しよう

 藤田社長は会社でブログ事業を展開しているわけで、いかに使い勝手がよいものをつくるかということに関心を持っていたと思います。

 ただ、今は他社との差別化を図るために、人によっては「なくてもよい」機能が増えて、利用者の棲み分けが進みつつあるようです。

 教師の中には、仕事のことではなく家族のことを中心に・・・つまり、家庭人としての立場でつくっている人もいれば、純粋に教育のことについて私見を述べる人、その経験をもとに過去の職場のことを書く人、リアルタイムで子どもや親への文句を書く人、わざわざ「校長」とか「退職校長」という肩書きで教育とは関係のない話を書く人・・・・など、様々です。

 教師としての自己成長を促すために、「ブログ」とどうつき合っていけばよいのか、自分で「ブログ」を立ち上げるべきかどうか・・・それは、どのような「読者」を想定し、どんなメッセージを送ろうとしているのか、ということと関係があるかもしれませんが、単なる「日記帳」のかわりとして利用することも可能です。

 もし日記帳代わりに使うのであれば、「5年日記」のように、過去の自分と比べることで、自己成長を感じたり、足踏み状態であることに気付いたり、新しい目標を設定したりと、それなりに効果は期待できると思います。

 「ブログの伝播力」を教育の質的向上に結びつけるとしたら、たとえば「家庭学習課題」を定期的に示したり、提出された模範解答を公開したり、それを閲覧していた他校の教師や生徒が相乗りしてくるような実践も面白いかもしれません。
 
 公的なブログとしては、学年の数人の教師が共同で運営し「学年通信」の代わりとするものなども考えられます。若い教師はパソコンに向き合う役割になるでしょうから、これを情報収集の手段として活用することで、「管制官」のような気分が味わえるかもしれません。もちろん情報は教師からだけではなく、生徒たちからも集める必要があります。

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«公立学校の「排他的教育水域」による不利益 ふり返り366日【08/7/30】/第103問